「月輪池」(左) なかなか風情のある名前の池だが由来を調べると、「この池に月が落ちたので 月輪池 」とも、「月輪殿(九条兼実)に関係があるので 月輪池 」とも言われているが、いずれも定かではない。
月輪池の辺りは立場があった場所で「東海道立場跡碑」(右)が建てられている。ここは景色が良く休憩にはもってこいの場所だったろう。今は回りに家が建ち並び 良い景色とはいえないが。
月輪池の先は大きく左にカーブ。交差点を越えてさらに数分歩くと一里山交差点に到着。この交差点左角に「月輪池一里塚塚跡碑」(左)が据えられている。実は危うく見落とすところだった。建物の陰になっているので信号が青だったらすっと通り過ぎていただろう。
この後は道なりに20分ほど歩き、さらに右折したり左折したりしながら国道1号に。赤い欄干の橋を渡り10分ほど歩くと「2匹の猫の石像」(右)が迎えてくれる。猫ちゃんの下には 「右 瀬田唐橋 左 旧東海道」と刻まれているので素直に左へ。
左に入って突き当たりを右へ行くといよいよ瀬田の唐橋が近い。5〜6分で橋に到着するが橋の手前にある大きな石碑は「山崎茶酔」(左)の句碑。 松風の 帆にはとどかず 夕霞 茶酔
ついに「瀬田の唐橋」(右)を見ることができた。日本書記にも登場するというこの橋は日本三名橋の一つと言われるほどの名橋。「擬宝珠を乗せ、ゆるやかに反った橋が夕日に赤く染まる様は絶景」。一方で軍事上の重要な橋でもあった。 街道は瀬田の唐橋を渡り、踏切を越えて交差点を右に曲がり、商店街の中を歩いて行く。さらに国道1号の下を通り再び踏み切りを越えJR琵琶湖線の下を通って向う側へ
この先はNECの横を通って道なりに歩いて行くのだが、しばらくすると琵琶湖から遠ざかってしまうので適当なところで右に入り「琵琶湖」(左)を眺めることに。 琵琶湖は大きいなー。
街道に戻りしばらく歩くと突き当たり手前の民家前に建てられていたのは「膳所(ぜぜ)城勢多総門跡碑」(右)。膳所城は藤堂高虎の縄張りで築城し瀬田の唐橋守護の役目を担っていた。しかし琵琶湖に突き出た石垣の崩壊が激しかったことから廃藩置県で早々に廃城。
相模川(神奈川県の相模川ではない)を渡った先の「石坐(いわい)神社」(左)は天智天皇の頃の創建と伝わる古社。本殿は鎌倉時代の文永3年(1266)建造。写真に見える本殿は滋賀県指定文化財。 石坐(いわい)神社の先に「膳所城北総門跡碑」(左)が申し訳なさそうに立っている。
義仲寺を出て昔の面影が少し残る街道を十数分、なにやら文字の多い石碑が目にとまった。「此付近露国皇太子遭難之地」(左)と刻まれている。ロシアのニコライ皇太子が警備の警官にサーベルで斬りつけられた大津事件発生現場で、世界に大津を発信した場所でもある。
遭難の地碑から5〜6分歩くと 札の辻 に到着。 京阪京津線が路面電車になっている道路を左に曲がり緩い坂を上っていくと明治天皇聖蹟碑が建てられているが、ここが「大津宿本陣跡」(右)。
蝉丸神社下社の少し先、国道右側に説明入りの「逢坂碑」(左)が建てられている。 説明によると「竹内宿禰(すくね)がこの地で忍熊王とばったり出会ったことに由来する」と。さらに「平安時代には逢坂の関が設けられ和歌に詠まれる名所であった」とも。 その「逢坂山関跡碑」(右)が国道1号の峠を越えた先の右側にある。 相坂・合坂と書かれた時代もあったようだが、やはり逢うという字が似合う。 そしてこの一首。 これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関 蝉丸 コメント:逢坂山関跡碑の先にポケットパークが新設され3碁の歌碑が設置されました。
国道の左側に渡り5〜6分、「月心寺・走井」(左)と記された軒行灯が下がったお寺がある。ここは歌川広重の「東海道五十三次の内 大津」に絵が描ている茶店があった場所。 茶店の左に旅人の喉を潤した井戸(走井の井筒)が描かれているが、その「井戸」(左)が月心寺の門内にあり今も清水がこんこんと湧き出している。
名神高速の下を通り、国道1号と別れて交番の前を左に入る道が旧東海道。急に静かになる。しばらく歩くと「追分け道標」(左)があり、「みきハ京みち ひだりハふしミみち」 ならば右の道を行けばよいわけだ。 だらだら坂を下る途中、閑栖寺の山門横にある石は「車石」(右)。説明書きに「大津・札の辻から京・三条大橋まで、牛馬車の通行を楽にするため、花崗岩に溝を刻んだ切石を並べた」とある。路面電車の線路みたいなものか。大変な作業だったろう。
坂を下り国道1号を歩道橋で渡るのだが下を見ると「三条の文字が」(左)。三条大橋が射程内に入ってきたようだ。
歩道橋で国道の右側に渡り数十メートル歩いたら再び旧東海道に入って行く。数分歩くと「三井寺観音道道標」(右)と常夜灯が立っている。間に真っ赤な箱(消火器具格納庫)が置かれているのがちょっとなー。写真写りが悪いんだよ。 この先で京都市の表示発見。 コメント:消防器具庫は、その後、地元の飯田様のご尽力により撤去され掲示板が設置されました。その後の写真はこちらです。
東海道をテクテク歩いて、ついに五十三番目の宿場も通り過ぎてしまった。京都に入り三条大橋を渡ればこの旅も終わってしまうのかと思うと、ちょっとどころか、かなり寂しい。そうは言っても三条大橋を渡らなければ。
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