(28) 下初狩宿 「日本昔話」 そんな景色も有りました |
下初狩宿には本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠は12軒であったが ここも人馬の継ぎ立ては中初狩宿との間で半月交替で行っていた。
この辺りの旧甲州街道は何カ所かで道が途中で消えているため、国道20号を歩くのだが歩道が無く怖い思いをする場所もある。 |
花咲宿を出ると緩い上り坂。大月警察署の少し先からは200m程だが歩道が無いのでガードレールの車道側を歩く羽目に。怖いね〜 トラックが車道一杯に走ってくる。
この先で旧甲州街道は左に入りJR中央線の下を抜けて笹子川沿いに進むのだが今は道が途中で消滅。従ってそのまま進み「初月橋」(左)を渡り大きく左へ曲がった先で源氏橋を渡ると旧甲州街道に復帰できる。
源氏橋から下を見ると「日本昔話」(右)を思わせる風景に思わず1枚。
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笹子川とJR中央線を源氏橋で越え、先ほど消滅した「旧甲州街道」(左)に復帰。
ここを右に曲がりJR中央線の踏切を渡った所に建てられている石碑は「聖護院道興歌碑」(右)。
今はとて かすみを分けてかえるさに おぼつかなしやはつかりの里
文明19年(1487)に詠まれたが、碑が建立されたのが文化3年(1806)、文化財に指定されたのが昭和44年(1969)、文に縁がある歌碑だ。
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歌碑の前を真っ直ぐ進むと国道20号に合流。国道を少しだけ東京方向に戻ると「国道20号の100kmポスト」(左)が建てられている。気持ちがいいね、ジャスト100km。
この先は国道20号が旧甲州街道。
数分歩いた道路際の石碑は「山本周五郎誕生之地碑」(右)。山本周五郎(本名清水三十六)の生家は、周五郎四歳のとき山津波で流され今は無い。
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 誕生之地碑の後ろの古民家は「旧本陣・奥脇家」(左)。 この建物は慶応年間(1865〜68)の建築で、建物の左手には本陣門もある。
誕生之地碑のすぐ先にあったのは「二十三夜塔」(右)。その隣にはちょっと小ぶりだが秋葉常夜灯も。
この先4〜5分歩くと中初狩宿。この辺も宿場間が短い。 |
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