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街道松 甲州街道 道中記 街道松
街道地図
甲州道中終宿下諏訪宿 甲州街道(甲州道中) 55里 219km 44次 踏破
下諏訪宿は甲州街道(甲州道中)の終宿であり、中山道29番目の宿場で本陣1・脇本陣1の規模であった。
高島藩の城下町・諏訪大社の門前町・そして温泉の町として賑わいを見せていた。

 平成19年2月2日

上諏訪宿の温泉寺を出て街道に戻ると下諏訪宿までは坦々とした一本道が続く。神社の説明書きを読んだり道祖神を見たり、諏訪湖の景色を眺めたりと飽きない程度の街道歩きができる。


兒玉石神社先宮神社温泉寺から10分ほど歩き右の路地を入ると突き当りは五個の大石に囲まれた「兒玉石神社」(左)。拝殿前の大石には沢山の凹みがあり常に水をたたえて乾くことがないという。

10分ほど歩くと橋が無い小川の向こうに見えるのは「先宮神社」(右)
由緒書きに面白いことが記されていた。要約すると、
後から来た出雲の神が諏訪神社に鎮座してしまったため先宮神社はこれに抵抗したが結局服従しこの地に。他の地に出歩けないようにと神社前の小川の橋を外してしまったのだとか。


夫婦道祖神夫婦道祖神

寿量院本堂の茅葺き屋根この辺りには「夫婦道祖神」(左)が結構多い。「あちらこちらに有る」と言うほどではないが注連縄で護られたた道祖神もあった。

先宮神社から10分ほど歩いた右奥の寿量院本堂は「茅葺き屋根」(右)。いいね〜


棚田諏訪湖高台でありながらなんとなく見通しが悪く、諏訪湖も家と家の間からチラチラしか見えなかったのだが突然目の前が開けると「棚田」(左)が広がっている。二十枚田ぐらいだったが思わず1枚。

その向こうにやっと「諏訪湖」(右)が見渡せるようになった。この景色を見たくて日本橋から歩いてきたんだよ。だが、想像してたほどの景色ではないなー。


夕日に輝く諏訪湖甲州道中茶屋跡またまたテクテクと歩いていると格子戸の素敵な古民家が現れたではないか。詳しい説明が無いが「甲州道中茶屋跡」(左)と記された看板が。

その先、10分ほど歩いただろうか、眼下に「素晴らしい諏訪湖」(右) が見えてきた。 湖面が夕日に照らされてうっすらオレンジ色にキラキラ光っている。


諏訪八名所石投場跡富部一里塚跡碑目を山側に転じると石碑に刻まれた文字が「諏訪八名所石投場跡」(左)。昔は諏訪湖が真下まで迫っていたので湖面に向かって石を投げた場所なのだそうだ。

ついに甲州街道最後の一里塚に到着。一里塚碑に力強く刻まれた文字は甲州道中一里塚」(右)。ここは53番目の富部の一里塚があった場所。説明板に「あと十一町で賑やかな下諏訪宿に着き・・・」 もうすぐだ。


諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮緩い下り坂を下ると  見えました、諏訪大社。
ここは4社ある諏訪大社の一社「諏訪大社下社秋宮」(左)。

駐車場右手の鳥居をくぐると神楽殿があり、その奥が「社殿」(右)。この社殿に神様がいるのは8月から翌年の1月まで。ということは、今は神様がいない。2月1日に「春宮」に遷座されてしまった。


秋宮 一之御柱一茶の句碑6年に一度(数えで7年)テレビで「御柱祭り」が放映されるが中でも一番太い御柱が「秋宮 一之御柱」(左)。
御柱は社殿の左右及び社殿奥の左右に各一本づつ、合計4本。
参拝も済ませたので、いよいよ最終目的地が目の前。

鳥居横の千尋池畔に「一茶の句碑」(右)が。
     国中は 残らず諏訪の 尾花かな   一茶
御射山祭りには全国の諏訪神社が尾花を捧げて祭りを行う。


番屋跡碑甲州街道と中山道の合流点千尋池の前を通って行くと「番屋跡碑」(左)が雪の中から顔を出している。 ここを左へ曲がると新鶴という和菓子屋があるが、ここの塩羊羹は絶品。ほんのり甘しょっぱい味が緑茶によく合う。

新鶴の先が「木曽路名所図絵 下ノ諏訪宿」にも描かれている綿の湯前広場で「甲州街道と中山道の合流点」(右)。中山道はここから左に曲がって京都へ向かって行く。

ついに甲州街道の終点に到着。なんだかあっけなく終わってしまったような。


合流点広場には 「甲州道中・中山道合流之地碑」 「下諏訪宿問屋場跡碑」 「綿の湯碑」  「木曽路名所図絵 下ノ諏訪宿」 などが並んでいる。
甲州道中・中山道合流之地碑 下諏訪宿問屋場跡碑 綿の湯碑 木曽路名所図絵 下ノ諏訪宿

本陣上段の間旧本陣岩本家合流点広場の右の道を入ると突き当たりが島崎藤村や芥川龍之介など多くの文人が宿泊された聴泉閣かめや。 実はここに皇女和宮様もお泊まりになられたという「本陣上段の間」(左)がある。旅の最後にとお願いして見学させてもらったのだが写真まで撮らせてもらうことができた。かめやの女将さん、ありがとうございます。

街道に戻り120mほど中山道を歩くと「旧本陣岩本家」(右)の本陣屋敷門があり有料であるが内部の見学が出来る。ただしこちらには上段の間は無い。


元旅籠のききょう屋歴史民族資料館街道を綿の湯前まで戻り右へ曲がった所の旅館は「元旅籠のききょう屋」(左)。この旅籠は「木曽路名所図絵」に桔梗屋として描かれているが元禄元年(1689)創業という老舗。  

ききょう屋の前を20〜30m歩くと「歴史民族資料館」(右)。
下諏訪宿の歴史がよく分かるので立ち寄ると良い。ただし、館長さんがとても話し好きなので長時間の覚悟を。 


高札場(復元)甲州街道と中山道合流点さらに20〜30m歩くと御柱グランドパーク「高札場」(左)が復元されており法度や掟書きの木札が下げられている。

これで甲州街道の旅は終わった。だがまてよ、秋宮では神様の居ない社殿に参拝してしまったようだ。
「そうだ、春宮へ行こう」

「中山道との合流点」(右)まで戻り いつか歩くであろう中山道を江戸方向に1kmほど歩くと春宮。

下諏訪大社春宮春宮一之御柱中山道を15分ほど歩いて春宮に到着。 神楽殿の奥に「下社春宮社殿」(左)があるので、ここでもう一度参拝。

社殿の右に「春宮一之御柱」(右)、社殿左側に「二之御柱」があり「三、四之御柱」は社殿の後ろ。

ちなみに上社の場合は「上社前宮」・「上社本宮」。


これで甲州街道の旅は完全に終了。日本橋からテクテク歩いてここまで来たが、最後はあっさりしたものだった。


この後に簡単な旅の記録を記しておきました。激励・応援してくれました方々にお礼申し上げます。 

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