寮の坂をもう少し上った先は、かつて八幡社と称した「宇佐神社」(左)。社伝によると永承6年(1051)に奥州へ向かう源頼義が当地に陣を張った際、白雲が八つに分かれて棚引くのを見た。これは奇瑞と喜んだ頼義は奥州平定後の康平5年(1063)に八幡社を建て勝利を報告したのが起こりという。神社の裏山に八幡塚古墳があるのだが、関係者以外立ち入り禁止。残念だね~
坂下まで戻り丸子川沿いをしばらく歩くと「池田屋」(右)という酒店がある。同店のホームページに「大正時代の初め頃まで筏流しは行われており、この前の道を竿を担いだ筏師が行き交っていた。甚造店(現・池田屋)はその頃まで筏師達が宿泊する筏宿を農業のかたわら営んでいた」とある。 |