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筏道 道中記

(1)六郷から多摩川台公園まで  (2)多摩川台公園から狛江まで  (3)狛江から大國魂神社まで

(2)多摩川台公園から狛江まで 街道地図


筏道の旅 2回目は多摩川台公園下から狛江まで。
多摩川台公園の下を流れる丸子川は旧六郷用水。 筏道は旧六郷用水沿いに二子玉川まで続き、
調布橋道標(南大山道道標)の前で左に曲がった後、再び多摩川の土手沿いに西進。その先は鎌田、
喜多見を通って狛江に入り調布へ抜けていく。
今回は狛江に入ったところで筏道歩き終了とした。

令和元年10月1日

東急東横線の多摩川駅で下車し、山裾を回り込んで本日の出発点である多摩川台公園下の旧六郷用水(現丸子川)脇へ。

20分ほど歩くと民家の塀に石仏が埋まっている。よく見ると「庚申塔」(左)であった。
反対側の丸子川を渡り階段を上った先の「照善寺」(右)は天正14年(1586)に草庵が結ばれ、寛永16年(1639)に開山したと伝わる。静かで趣あるお寺です。

照善寺の東門を出ると「馬坂」(右)と記された標柱が。説明書きによると「この坂道は大正の頃までは馬が引く荷車で台地へ上がる唯一の坂道で、荷馬車が通れるだけの細い道であった」とある。また、寺の横であることから「寺坂」と呼ばれたこともあったそうだ。

照善寺を出て数分先の「田園調布八幡神社」(左)は創建年不詳であるが、天正18年(1590)に小田原北条氏が滅亡すると八王子城主であった北条氏輝の家臣・落合某がこの地に庵を結び主家の冥福を祈ったという。その孫、左衛門が八幡大菩薩を祀り社殿を創建したと伝わっている。

八幡神社を出て7~8分、丸子川を渡って坂道を上った先は天正年間の創建と伝わる「伝乗寺」(右)。かつては寺の周囲に修行僧の学寮が建ち並んでいたことから寺横の坂道を地元の人は 寮の坂 と呼んでいる。
本堂横の五重塔は平成17年(2005)に創建されたもの。

寮の坂をもう少し上った先は、かつて八幡社と称した「宇佐神社」(左)。社伝によると永承6年(1051)に奥州へ向かう源頼義が当地に陣を張った際、白雲が八つに分かれて棚引くのを見た。これは奇瑞と喜んだ頼義は奥州平定後の康平5年(1063)に八幡社を建て勝利を報告したのが起こりという。神社の裏山に八幡塚古墳があるのだが、関係者以外立ち入り禁止。残念だね~

坂下まで戻り丸子川沿いをしばらく歩くと「池田屋」(右)という酒店がある。同店のホームページに「大正時代の初め頃まで筏流しは行われており、この前の道を竿を担いだ筏師が行き交っていた。甚造店(現・池田屋)はその頃まで筏師達が宿泊する筏宿を農業のかたわら営んでいた」とある。

丸子川に架かる大日橋を渡り坂を上ると真贋を見極める霊力を持つ海駝が出迎えてくれる。 その奥は慶安5年(1652)開山の「善養密寺」左)。 本堂は奈良唐招提寺金堂を模したもので、屋根には金色の一対の鴟尾(しび)が輝いてゐる。本堂前の大木は樹齢700年とも800年とも言われる榧(カヤ)で東京都の天然記念物。

善養密寺先の宮下橋を渡り坂を上って行くと鎮座しているのは「六所神社」(右)。 元和年間(1615~23)、多摩川の洪水のときお宮が流れてきたそうだ。これを村人が引き上げたのだが府中六所明神(現・大國魂神社)の方から流れてきたことから六所明神としてこの地に祀ったという。

再び丸子川沿いの道に戻り第三京浜の下を通ってかれこれ30分、大山街道との合流点に瀬田村の庚申供養講中が建てた「大山道道標(調布橋道標)(左)があり「右東 目黒道 南大山道 左西 赤坂道」と刻まれている。筏道はここを左に曲がり大山街道に合流。東急二子玉川駅前を通ったら大山街道と分かれ多摩堤通りを西に向かって行く。

東急田園都市線・国道246号バイパスのガード下を抜けると右手に諏訪神社があるが、その境内に「筏道碑」(右)が据えられている。大山道道標の前から筏道碑辺りまでの道筋は当時のままではないが、ここから先のしばらくは多摩堤通りが旧筏道。

多摩堤通りをかれこれ20分、野川支流の仙川に架かる橋を渡ったら交番脇を右に入って行く。

砧南小学校前の路地を入った奥の「吉祥院」(左)は天平12年(740)に行基が開基、良弁僧正が開山したという古刹。残念ながら今は無住のようだ。門を入った左側に龍亀と呼ばれる珍獣の石造が。 霊亀が龍に変身する直前の姿ともいわれ龍と霊亀の両方の力を備えた瑞獣として古くから崇められていた。

吉祥院を出て7~8分歩いた先の「永安寺」(右)は延徳2年(1490)の創建。 鎌倉大蔵谷に鎌倉公方足利氏満開基の永安寺という寺があったが氏満の子・持氏が上杉憲実に敗れ自害すると寺も廃れれしまった。しかし持氏の遺命により二階堂秀高入道が鎌倉の大蔵谷と同じ名前の武蔵国大蔵村に永安寺を再建し菩提を弔ったという。

永安寺を出て数分、道は東名高速で行き止まりとなるが その手前に「六郷用水跡碑」(左)が建てられている。側面が道標になっており刻まれた行き先は「東 水神橋を経て丸子川へ」「西 新井橋を経て次太夫堀公園へ」。

ということで野川に架かる新井橋を渡り 数分先の三叉路を左に入りさらに7~8分、知行院の先を右に曲がって「次太夫堀公園民家園」(右)に寄り道を。江戸時代後期から明治初期にかけての農村風景を再現した公園で5棟の古民家と次太夫堀(六郷用水)が復元されている。道筋からはちょっと離れるが休憩にはもってこいの場所だ。

次太夫堀公園から戻ったら慶元寺にも寄り道を。その途中にあったのが「稲荷塚古墳」(左)。直径13メートル、高さ2.5メートルの円墳で七世紀初め頃の築造と考えられている。その先には六天塚古墳もある。

古墳から数分歩いた右奥が喜多見氏の氏寺(菩提寺)「慶元寺」(右)。 元々は文治2年(1186)に江戸太郎重長が今の皇居付近に開基した氏寺。しかし太田道灌に追われ木田見(喜多見)に退いた江戸氏はこの地に城館を築き氏寺もこの地に移して喜多見氏と名乗るようになった。現本堂は享保元年(1716)に再建されたもの、山門は宝暦5年(1755)の建立。

慶元寺の裏手に鎮座する「喜多見氷川神社」(左)の創建は大変に古く、天平12年(740)に素戔嗚尊(すさのおのみこと)を奉祀したことに始まると伝えられている。永禄13年(1570)にこの地の領主であった江戸刑部頼忠によって再興。 参道途中の二の鳥居は承応3年(1654)に喜多見重恒・重勝兄弟によって寄進されたもの。

筏道に戻りしばらく歩くと筏道と中通が交わる三叉路に差し掛かるが、ここに喜多見郷の女性念仏講中が文政4年(1821)に建てた「念仏車」(右)がある。念仏を称えながら念仏車を一回廻すとお経を一巻読んだのと同じ功徳があるという。 隣の祠の中に祀られているのは元禄5年(1692)の庚申塔と享保4年(1719)の地蔵尊。

この先で世田谷通りに合流。狛江三叉路まで来たら右から合流する狛江通りに入り すぐに左へ曲がって品川道に入っていく。
近くに小田急線の狛江駅があったので今回の筏道歩きはここまで。

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