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本郷から駒込へ 街道地図
江戸時代を堪能し、明治の文豪にもちょっと触れることができた本郷界隈でした。
本郷といえば加賀100万石 前田家の上屋敷が有名であるが その他にも水戸藩中屋敷・唐津藩下屋敷など多くの大名屋敷が
あった場所。明治に入ると前田家の屋敷跡に日本唯一の大学校(後の東大)が置かれたことから芥川龍之介や佐々木信綱など
多くの文人・学者が集まる文化村へと発展した場所でもある。

 平成19年5月29日
 皇居東御苑から神田界隈を歩き神田明神にお参りしたあと再び街道に戻り、向かう先は本郷界隈だが本郷通りを7〜8分歩き五差路まで来たらちょっと寄り道を。

芭蕉句碑本郷も かねやすまでは 江戸の内

左の細い道を7〜8分歩いた先の昌清寺駐車場にあるのは「花見塚・芭蕉句碑」(左)。
   桜狩り きとくや 日々に五里六里   芭蕉

街道に戻り本郷3丁目交差点まで来ると「本郷も かねやすまでは 江戸の内」(右)と記されたパネルが掲げられている。この先は田舎だよ と山の手をからかった江戸っ子の川柳だ。

その かねやす は現在は洋品店であるが元々は亨保年間に兼康祐悦なる人物が歯磨粉を売り出した老舗の店。


別れの橋跡説明板菊坂

交差点先の歩道際に建てられているのは「別れの橋跡説明板」(左)。縷々説明されているが 罪人を江戸から追放した場所で親類縁者が涙で見送った場所。もちろん小さな橋もあったようだ。

別れの橋跡の20mほど先の左へ下る道が「菊坂」(右)。この先には明治時代の文人がごまんと居た。 いやいや五万は大げさだが坂を下った先を左に曲がる本妙寺坂に掲げられていたのは菊坂界隈文人マップ。それを見ると石川啄木・宮沢賢治・樋口一葉・坪内逍遙など数え上げればきりがない。


晩菊小路樋口一葉の菊坂旧居跡

本妙寺坂に入りすぐに右へ曲がると至る所で目にするのが昔懐かしい路地。その中にご年配の方には懐かしい杉村春子主演の映画「晩菊」に登場した「晩菊小路」(左)が。

少し手前には宮沢賢治が半年ほど過ごした場所も。(今はアパートに代わっている)

さらに少し先の左側路地を入ると「樋口一葉の菊坂旧居跡」(右)。手前の手漕ぎポンプ(現役です)が路地裏の風情を一層盛り上げているのが嬉しい。


まだまだ歩いてみたいのだが目的は御成道。いつかゆっくり散策しようと思いながら今度は菊坂を上ることに。

東大赤門東大前の本郷通り

街道に戻り5〜6分、「東大赤門」(左)と呼ばれる門は加賀藩前田家の朱塗りの御門。明治元年(1868)の火災で屋敷は焼失したが赤門だけは焼失を免れた貴重な遺構。東大本郷キャンパスの中心は前田家の屋敷跡であるが水戸藩中屋敷、備前唐津藩下屋敷、さらには富山藩、大聖寺藩の屋敷跡も東大構内。

赤門対面の路地奥に樋口一葉が5年間住んだ桜木の宿があったが今は説明板のみ。「東大前の本郷通り」(右)を進み、本郷弥生町交差点を渡り、次の丁字路交差点まで来ると中山道と御成道の追分け。ここは追分け一里塚が有った場所。


高崎追分一里塚跡説明板とうがらし地蔵

交差点向こうに宝暦元年(1751)創業の「高崎屋」(左)という酒屋さんがあるが、その左奥にひっそりと掲げられているのは「追分一里塚跡説明板」(左)。高崎屋のご主人が「一里塚のことだったら根津神社に行ってごらん」と言う。根津神社に何が有るのだろうか。

追分けから5〜6分の正行寺に元禄15年(1702)に安置されたという「とうがらし地蔵」(右)が祀られている。地蔵を刻んだ僧がことのほか とうがらし酒が好きだったので とうがらし地蔵 なんだそうだ。 


根津神社賽の大神

郷追分けから先の御成道は岩槻街道とも呼ばれているが、さきほどの高崎屋のご主人から「行ってごらん」と言われた「根津神社」(左下)に寄り道を。

1900年余の歴史を持ち 五代将軍綱吉が奉建した社殿は国宝。国宝もさることながら神社内をくまなく探しても一里塚を思わせるものは見つからない。思いあまって若い神主さんに聞いたところ「神社外の乙女稲荷参道を右に行くと一里塚に関係する物が有る」という。  関係するもの?

「賽の大神」(右)と刻まれた石碑が実は追分一里塚に有ったものだったのだ。明治6年(1879)に追分に設置されたのだが道路の拡幅でこちらに移されたのだとか。


駒込土物店跡碑青果市場跡碑目赤不動尊

再び街道に戻り500mほど歩いた所の天栄寺前に建てられた石碑は「駒込土物店跡碑」と「青果市場跡碑」(左)。ここは近隣の農家が土物(人参、牛蒡など土の付いた野菜)を販売し、後にやっちゃ場(青物市場)に発展した場所。

やっちゃ場跡から数分先の南谷寺境内に祀られているのは「目赤不動尊」(右)。目が赤いわけではない。伊賀国赤目山で不動明王を授けられたので赤目不動と言われていたが三代将軍家光から「目赤不動尊とせよ」と言われ目赤になったのだとか。

ちなみに江戸時代から目赤・目白・目黄・目青・目黒の五不動が五色不動として知られている。


お七・吉三比翼塚二宮尊徳墓碑 さらに数分歩いた右側の吉祥寺「お七・吉三比翼塚」(左)なるものがあるが、何故ここに八百屋お七が。実はお七が恋した相手は吉祥寺の寺小姓・吉三郎となれば納得。 

吉祥寺には「何故ここに」がもう1カ所。 「二宮尊徳墓碑」(右)が比翼塚の少し奥にある。こちらは何故なのか納得できる話が見つからない。


六義園正門築山泉水と臥龍石

吉祥寺を出てテクテクと10分。六義園(りくぎえん)と記された標柱を見たら左に曲がると「六義園正門」(左)。

川越藩主・柳沢吉保が元禄15年(1702)に築造した庭園で、和歌を庭園で表現するという大胆な発想で作られている。小難しいことは置いといて池を周遊する散策路からの「景色は素晴らしい」(右)。

たびたび訪れるという方が「雪景色は絶品だよ。雪が降ったら絶対に来るべきだね」と言っていたがそうかもしれない。


六義園を出たあと是非立ち寄りたい場所が「染井霊園」。明治時代の著名人の墓が多数あるがその中に文人の墓も。六義園染井門前の斜めに入る道を10分ほど歩くと突き当たりが染井霊園。

十二地蔵二葉亭四迷の墓石

ソメイヨシノと言えば桜の代名詞だが、その染井通りを歩くと霊園手前にあったのが「十二地蔵」(左)。これは亨保15年(1730)の大火で犠牲になった人達の冥福を祈るために建てられた地蔵。

霊園入り口に著名人の墓地が紹介されているが、判じ物のような記号を頼りに墓石を探すのは慣れないと難しい。

文学に無理解だった父から「くたばってしめえ」と言われ それをパンネームにしてしまった「二葉亭四迷の墓石」(右)が1種イ5号37側という場所。墓石は本名の長谷川辰之助墓。1種ロ6号1側は高村光太郎・知恵子の墓、1種イ4号14側は岡倉天心の墓。


芥川龍之介墓本竹水羊羹

染井霊園奥の慈眼寺には芥川家の墓地があり「芥川龍之介墓」(左)と刻まれた墓石が建てられている。
案内表示は無いが谷崎家の墓地には谷崎潤一郎の分骨が収められている。

お墓回りが続いてしまったが口直しに水羊羹がお勧め。
六義園を出てJR駒込駅方向に数分歩いた所の「こうさぎ」という小さな和菓子屋さんで「本竹水羊羹」(右)というものを見つけた。青竹筒に入った水羊羹はかすかに竹の香りがして旨い。


本郷界隈は見どころが多く、なかなか先へ進めないがこれはこれで楽しい。この先の王子界隈も楽しめそうだ。
  

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