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街道松 東海道の一里塚 街道松
 東海道の一里塚・上
 東海道の一里塚・下

 東京・神奈川の一里塚    コメント:塚位置の左右は日本橋から京都へ向かう場合で表記しています。


日本橋 金杉橋 品川宿碑 大森一里塚跡 付近
日本橋
東京都中央区日本橋
金杉橋
東京都港区柴大門2丁目
(2)品川一里塚 石碑
東京都品川区北品川一丁目30付近
(3)大森一里塚跡 付近
東京都大田区大森東二丁目3付近
江戸幕府が開かれた慶長8年(1603)年に架橋
され五街道の起点とされた。現在の日本橋は
明治44年(1911)に石造の橋として架橋。橋の
中心に日本国道路元標が埋め込まれている
街道地図
日本橋を出て最初の一里は現在の金杉橋辺り
となるが、ここには一里塚は築造されなかったと
云われている。橋の袂に栴檀の大木があり旅人の目安になっていた。
街道地図
この一里塚は江戸中期には解体されていたか、
もしくは築造されなかったとの説もある。
品川宿内の品海公園内に「日本橋より二里」と
刻まれた石碑が建てられている。
街道地図
内川橋を渡って100mほどのマンション前に
説明板が建てられていた時期があったが、
現在は説明板、標柱などは無い。痕跡も無い。

街道地図

六郷一里塚跡 付近 市場一里塚 東子安一里塚跡 神奈川一里塚跡
(4)六郷一里塚跡 付近
東京都大田区東六郷三丁目9付近
(5)市場一里塚 左塚現存
神奈川県横浜市鶴見区市場西中町4-8
(6)東子安一里塚跡 説明板
神奈川県横浜市神奈川区子安通り三丁目
(7)神奈川一里塚跡 説明板
神奈川県横浜市神奈川区台町七丁目34
六郷神社の横に一里塚があったが説明板や
石碑などは無い。神社の由緒説明板の一部に
「脇参道の鳥居からやや南寄りに、日本橋から四里の一里塚が描かれていた」との記述がある。
街道地図
左側が現存しているが、塚の上に稲荷神社が
鎮座しているため一里塚のようには見えない。
「武州橘樹村市場村一里塚」と刻まれた石碑が
建てられている。
街道地図
旧東海道から国道15号に合流して5~6分の
歩道際塀に説明板がある。説明板に「分間延絵図から場所を推定した。北側の塚に榎、南側の塚に松が植えられていた」との記述あり。
街道地図
石碑や説明板などは無いが大綱金刀比羅神社
の説明板に「・・・神社前の街道両脇に一里塚が
置かれていた。この塚は日本橋より七つ目に
当たる」と記されている
街道地図

保土ヶ谷一里塚跡 信濃一里塚 左塚現存 信濃一里塚 右塚現存 吉田一里塚跡標柱
(8)保土ヶ谷一里塚跡 説明板
神奈川県横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町二丁目
(9)信濃一里塚 左塚現存
神奈川県横浜市戸塚区平戸四丁目16-45
(9)信濃一里塚 右塚現存
神奈川県戸塚区信濃町
(10)吉田一里塚跡 標柱・説明板
神奈川県戸塚区吉田町
石碑や標柱はありませんが説明板が設置され
「江戸から八番目のものです」と記されている。
説明板の傍らに上方見付の土塁が復元され、
小さな小さな塚も築かれ榎が植えられている。
街道地図
神奈川県内で唯一、左右の塚がほぼ当時のまま残る一里塚です。
東の塚は当時の平戸村内に、西の塚は信濃村内にあり、塚には
エノキが植えられていた。塚の間が切通しになってしまったため街道
からは塚が見ずらい。
街道地図
柏尾川の手前50mの歩道際に標柱が建てられ
説明板が添付されている。塚は明治の早い時期
に取り壊されてしまった。日本橋から10里、江戸
を出発した旅人が最初に宿を取る距離であった。
街道地図

原宿一里塚跡標柱 遊行寺坂一里塚跡 辻堂一里塚跡 茅ヶ崎一里塚
(11)原宿一里塚跡 標柱・説明板
神奈川県戸塚区原宿二丁目31-2
(12)遊行寺坂一里塚跡 説明板・標柱
神奈川県藤沢市大鋸三丁目8-2
(13)辻堂一里塚跡 標柱
神奈川県藤沢市城南一丁目2
(14)茅ヶ崎一里塚 左塚現存
神奈川県藤沢市元町5890
歩道際に吉田一里塚跡と同じ形態の標柱が建て
られている。説明板によると、吹上の一里塚とも
呼ばれていた。明治9年(1876)の里程標設置に
ともない一里塚が取り払われた。
街道地図
今は切通しの遊行寺坂であるが、説明板による
とかつては急坂の道で、その両側に一里塚が
あった。切通しになった後も崖上に塚が残ってい
たが今は何も残っていない。
街道地図
四ツ谷一里塚とも呼ばれていた。塚の痕跡は
無く標柱がひっそりと立っている。説明板は無い。


街道地図
大正末頃までは左右の塚があったが道路拡幅の
ため右塚が撤去され現在は左塚だけです。
塚に植えられていた樹木は右塚に松、左塚には
榎でした。
街道地図

馬入一里塚跡 化粧坂一里塚跡 国府本郷一里塚跡 押切一里塚跡
(15)馬入一里塚跡 石碑・説明板
神奈川県平塚市馬入5
(16)化粧坂一里塚跡 説明板
神奈川県中郡大磯町大磯82
(17)国府本郷一里塚跡 標柱・説明板
神奈川県中郡大磯町国府本郷
(18)押切坂一里塚跡 石碑・説明碑
神奈川県中郡二宮町山西
相模川を渡って10分ほどの国道1号から分岐
した場所にありましたが痕跡はありません。説明
板に、近くに川渡しのための川会所や川高札が
あったと記されている。
街道地図
国道から別れた旧東海道は欅・桜・松が混ざった
並木道、その途中に一里塚跡がある。塚は残って
いないが海側の塚に榎、山側の塚は栴檀が植え
られていた。
街道地図
国道1号と旧東海道の間にある緑地帯に説明板
が設置されている。塚があった位置は説明板より200メートルほど江戸寄りだが、今は住宅が立ち
並び塚の痕跡は全く無い。
街道地図
一里塚は大磯宿と小田原宿の中間辺りにあり、
周辺には茶屋などが並び梅沢の立場と呼ばれていた。国道1号から旧道に入って数分の場所に石碑と説明碑が設置されている。
街道地図

小八幡一里塚跡 山王原一里塚跡 風祭一里塚跡 風祭一里塚跡
(19)小八幡一里塚跡 説明板
神奈川県小田原市小八幡三丁目18ー1
(20)山王原一里塚跡 石碑。説明板
神奈川県小田原市浜町四丁目24-7
(21)風祭一里塚跡 説明板
神奈川県小田原市風祭298
(22)湯本一里塚跡 石碑・説明板
神奈川県足柄下郡箱根町湯本茶屋22
日本橋から19番目の一里塚となる。この辺りは
家が立ち並び一里塚の痕跡は無いが民家の塀の
前に説明板が建てられている。説明板によると
塚木は榎ではなく松であった。
街道地図
小田原城江戸口見付の外側に一里塚が築かれて
いた。現在は歩道橋下の広場に石碑と説明板が
設置されているが塚は無い。石碑に刻まれている
文字は「江戸見付一里塚址」
街道地図
風祭集落の中程、三叉路の奥に道祖神が祀られ
ているが、その奥に風祭一里塚の説明板が設置
されている。塚は残っていない。

街道地図
箱根路へ入って最初の一里塚。石碑と説明板が
建てられている。石碑には「旧箱根街道一里塚跡
江戸から二十二里」と刻まれている

街道地図

畑宿一里塚 左塚復元 畑宿一里塚 左塚復元 一里塚のイラスト
工事中マーク
記録無しの一里塚
(23)畑宿一里塚 左塚復元・石碑・説明板
神奈川県足柄下郡箱根町畑宿
(23)畑宿一里塚 右塚復元・石碑・説明板
神奈川県足柄下郡箱根町畑宿
(24)葭原久保一里塚跡
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根1
(25)築造の記録が無い
山の斜面にあったこの一里塚は発掘調査を行った後、保存整備で塚の構造を復元。
東海道中唯一 当時の形態を留める一里塚である。右側の塚には樅(モミ)を、左側の
塚には欅(ケヤキ)が植えられている。
街道地図

静岡県東部の一里塚

一里塚のイラスト
工事中マーク
笹原一里塚 錦田一里塚 左塚 錦田一里塚 右塚
(26)山中新田一里塚
静岡県三島市山中新田
(27)笹原一里塚 左塚現存・石碑
静岡県三島市笹原新田
(28)錦田一里塚 左塚現存・説明碑
静岡県三島市谷田
(28)錦田一里塚 右塚現存
静岡県三島市谷田
石畳道の左側、一段高くなった所に左塚が
現存している。塚上には椎の大木があるが、
江戸時代は松が植わっていた。石碑には
「箱根旧街道笹原一里塚」と刻まれている。
街道地図
左右一対で当時の形態のまま現存する貴重な一里塚。国の指定史跡と
なっている。塚木は左側は榎、右側は松であったが、現在は両塚とも榎が
植えられている。
街道地図

宝池寺一里塚 玉井寺一里塚 沼津日枝一里塚 右塚復元 松長一里塚 石碑
(29)宝池寺一里塚 左塚復元・石碑
静岡県駿東郡清水町伏見720-1
(29)玉井寺一里塚 右塚現存
静岡県駿東郡清水町伏見707
(30)沼津日枝一里塚 右塚復元・説明板
静岡県沼津市平町18-19
(31)松長一里塚跡 石碑
静岡県沼津市大諏訪
街道を挟んで左側に宝池寺、右側に玉井寺がありその前に一里塚があったことから、
それぞれの寺名で呼ばれているが総称して伏見一里塚と呼ばれている。
宝地寺一里塚は損壊が激しかったことから改修復元されたが、玉井寺一里塚は
当時のままの現存一里塚。
街道地図
一里塚公園に右塚が復元されている。
伏見一里塚から一里目が沼津宿内であったため
場所が確保できず多少距離が短いこの地に築造
された。
街道地図
沼津藩領の西側榜示杭を過ぎて20分ほど
歩くと民家の塀の間に石碑が建てられている。
地名から大諏訪一里塚と記述する資料もある。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図

原一本松一里塚 石碑 沼田新田一里塚跡碑 依田橋一里塚 石碑・ 本市場一里塚 石碑
(32)原一本松一里塚跡 石碑・説明板
静岡県沼津市一本松
(33)沼田新田一理塚跡 標柱・石碑
静岡県富士市沼田新田
(34)依田橋一里塚跡 石碑・説明板
静岡県富士市依田橋町10
(35)本市場一里塚跡 石碑
静岡県富士市本市場269
JR原駅から15分ほどの左側に石碑と説明板が
設置。説明板には「東海道原宿一里塚」と記載さ
れ、塚木は松であったと記されている。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図
昭和放水路に架かる広沼橋を渡ると標柱が建て
られ、50~60m歩くと石碑が設置されている。
刻まれている文字は「旧東海道一里塚」。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図
富士山が左に見え始めたころの街道左側、
左富士神社境内の一角に「依田橋一里塚碑」が
設置され、小さな小さな一里塚が造られている
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図
間宿本市場を通り過ぎ、県道を横断した先の
バス停本市場中の後ろ、花壇の端にひっそりと
石碑が建てられている。

街道地図

記録無し一里塚 岩淵一里塚 左塚 岩淵一里塚 右塚 蒲原一里塚 石碑・説明板
(36)築造の記録が無い (37)岩淵一里塚 左塚現存・説明板
静岡県富士市岩淵182
(37)岩淵一里塚 右塚現存
静岡県富士市岩淵182
(38)蒲原一里塚跡 石碑・説明板
静岡県静岡市清水区蒲原一丁目8-26
間宿岩淵の町並み彼方に一里塚の大木が見える。塚は少々小さく
なってしまったが右塚の榎は江戸時代からのもので巨木。左塚は
昭和42年(1967)に枯死、2代目の榎である。
街道地図
説明板に、最初に造られた塚は元禄12年(1699)の津波で流失し、宿の移転い伴ってここに移されたが当時の面影は無い、と記されている。
街道地図

由比一里塚 石碑 西倉沢一里塚 石碑・説明板 興津一里塚 石碑 辻一里塚 説明板
(39)由比一里塚跡 石碑・説明板
静岡県静岡市清水区由比
(40)西倉沢一里塚跡 石碑・説明板
静岡県静岡市清水区由比西倉沢
(41)興津一里塚跡 石碑
静岡県静岡市清水区興津仲町西
(42)辻一里塚跡 説明板
静岡県静岡市清水区辻二丁目2
説明板に塚木として松が植えられていたが山側の
松が枯れたので良用軒清心という僧が十王堂を
建立。明治の廃仏毀釈で廃寺となった、とある。
現在は左側の説明板と並んで建てられている。
街道地図
薩埵峠の東登り口に塚があったが今は痕跡なく
石碑と説明板が建てられている。石碑の両隣りに
あるカラフルな棒は薩埵峠登山者の杖として使
われる。
街道地図
民家の脇にひっそりと石碑が立っている。
説明板などは無い。


街道地図
細井の松原跡から10分ほど歩いた交差点際に
一里塚跡 と題された説明板が設置されているが
一般的な内容のみ。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました
街道地図

草薙一里塚 石碑 長沼一里塚 石碑 府中一里塚 石碑 丸子一里塚 石碑
(43)草薙一里塚跡 石碑・説明碑
静岡県静岡市清水区草薙一里山4-10
(44)長沼一里塚跡 石碑
静岡県静岡市葵区長沼一丁目1
(45)府中一里塚跡 石碑・説明板
静岡県静岡市葵区本通八丁目4-7
(46)丸子一里塚跡 石碑
静岡県静岡市駿河区丸子六丁目4
歩道際に一里塚碑と由来碑及び旧一里塚碑
設置されている。由来碑の後半に  疲れを癒した
旅人達が「府中二里半あと一息頑張ろう」と
道中合羽に三度笠、振り分け荷物を肩に旅立つ
姿が偲ばれる、 と刻まれているのがユニーク。
街道地図
この写真は2006年に撮影したもので、現在は道路際の電柱に抱かれるように立っている。説明板などはない。


街道地図
府中一里塚は江戸時代初期の街道沿いで、現在の本通八丁目辺りにあった。



街道地図
国道1号から旧道に入った先の歩道際に設置されている。一りづかあと」とひらがなで刻まれているのがユニーク。


街道地図

宇津ノ谷一里塚跡碑 岡部一里塚跡付近 鬼島一里塚跡 志田一里塚跡
(47)宇津ノ谷一里塚跡 石碑
静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷1ー1
(48)岡部一里塚跡 付近
静岡県藤枝市岡部町岡部1188-1
(49)鬼島一里塚跡 標柱
静岡県藤枝市鬼島
(50)志太一里塚跡 石碑・説明板
静岡県藤枝市志田四丁目3-18
国道1号岡部バイパスの歩道橋入り口に石碑が
設置されている。石碑は丸子一里塚と同時期に
作られたもので「一りづかあと」とひらがなが刻まれている。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図
東海道が岡部川左岸を通っていた頃に一里塚が
築造されたが洪水で流されてしまった。その後、
右岸へ移されたが街道が現在の旧東海道。
石碑や説明板などは無い。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図
民家の壁際に標柱が建てられている。説明板などは無し。標柱の側面に江戸から48番目としるされているが、距離は日本橋から49里。


街道地図
勝草橋を渡った右側、フェンスで囲われた中に
常夜灯と共に建てられている。説明板に、江戸
から200km、50里目に当り瀬戸川堤から
西へ50mに両側があった、と記されている。

街道地図

上青島一里塚跡 島田一里塚跡
(51)上青島一里塚跡 石碑
静岡県藤枝市上青島
(52)島田一里塚跡 石碑・説明板
静岡県島田市本通七丁目8400
駐車場入り口に石碑が立っていたが、現在は
松並木の残る街道沿の歩道際に移された。
昭和57年(1982)に発掘調査が行われ、
塚の形を表す円形の石積みが見つかっている。
街道地図
設置当時は左右両塚であったが、江戸時代後期
の寛政年間(1789~)に作られた分間延絵図では
片側の塚のみが描かれていた。現在は両塚とも
痕跡は無い。
街道地図

東海道の一里塚 ・下へ     三条大橋へ    表紙へ戻る