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街道松 東海道の一里塚 街道松
  東海道の一里塚・上
  東海道の一里塚・下

 静岡県西部の一里塚  コメント:塚位置の左右は日本橋から京都へ向かう場合で表記しています。


金谷一里塚跡 築造されなかった一里塚のイラスト 築造されなかった一里塚のイラスト 佐夜鹿一里塚跡
(53)金谷一里塚跡 標識・説明板
静岡県島田市金谷田町428
(54)築造の記録が無い (55)築造の記録が無い (56)佐夜鹿一里塚跡 標柱
静岡県掛川市佐夜鹿324     
JR金谷駅の崖下、丁字路際に夢舞台東海道の
道標があるが、隣に一里塚跡の説明板があり、
「金谷一里塚榎木」と記されている。

街道地図
西行法師歌碑から200mほど歩いた左側に
標柱が建てられている。周辺の言い伝えによると
56里目の一里塚という説があるが、分間延絵図
では52里に相当とされている。
街道地図

伊達方一里塚 葛川一里塚 久津部一里塚
(57)伊達方一里塚跡 石碑・説明板
静岡県掛川市伊達方
(58)葛川一里塚跡 石碑
静岡県掛川市葛川
(59)大池一里塚跡 標識
静岡県掛川市長谷225−1
(60)久津部一里塚 左塚復元・説明板
静岡県袋井市広岡
街道の両側に設けられた塚は直径七間、高さ
三間の小山だったというからかなり大きい。
明治33年(1900)ごろ取り壊された。

街道地図
橋の親柱が馬の顔という馬喰橋を渡ると左側に
「東海道葛川一里塚」と刻まれた石碑が建てら
れている。側面に刻まれた文字は「江戸より
五十六里三丁余」、「京都より六十九里一丁余」。
街道地図
夢舞台東海道の道標に「大池一里塚跡」と
記されている。この一里塚には塚木として
榎ではなく松が植えられていた。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図
袋井東小学校のの校庭にミニ一里塚が復元
されている。また30m程手前右側には標柱が
設置されミニ一里塚が造られました。

街道地図

木原一里塚 阿多古一里塚 左塚 阿多古一里塚 右塚 宮之一色一里塚(復元)
(61)木原一里塚 左塚復元・説明碑
静岡県袋井市木原607
(62)阿多古一里塚 左塚現存・石碑
静岡県磐田市見付597−2
(62)阿多古一里塚 右塚現存・石碑
静岡県磐田市見付598−2
(63)宮之一色一里塚 右塚復元・石碑
静岡県磐田市宮之一色
県道413号から脇道に入った旧道の十字路際に
一里塚が復元されており、その手前50mほどの
右側に「木原一里塚跡」と記された標柱が建て
られているが、ここに一里塚が築造されていた。
街道地図
県道磐田袋井線から右に入った旧道の坂道を下り切ったら左手の階段を上ると
愛宕神社の裏に左側の塚が現存。塚上には一里塚碑が建てられている。
右塚は民家の後ろ側にある。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。


街道地図
昭和46年(1971)に復元された一里塚で石碑と
説明板が設置されている。復元ということだが
階段が造られシュロや松が植えられ、低木まで
植えられておりており一里塚の形態は無い。
街道地図

安間一里塚跡 馬込一里塚跡 若林一里塚跡 篠原一里塚跡
(64)安間一里塚跡 標柱
静岡県浜松市中央区安新町83−1
(65)馬込一里塚跡 説明板
静岡県浜松市中央区相生町14
(66)若林一里塚跡 石碑・説明板
静岡県浜松市中央区東若林町432
(67)篠原一里塚跡 説明板
静岡県浜松市中央区篠原町39
天竜川の土手を下り旧東海道に入って15分ほど
歩いた道路際に赤色の標柱が立つ。100mほど手前の右に曲がる道が姫街道の安間起点。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図
浜松東警察署の前に説明板が設置されている。
説明板によると明治10年(1877)頃に塚は
撤去。向宿一里塚とも言われていた。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図
一里塚のあった辺りは八丁畷と呼ばれ今も
真っすぐな道路が1kmほど続く。その終わり
近くの左側、歩道際に石碑と説明板が立つ。

街道地図
民家の庭先にある一里塚跡の説明板に「江戸
日本橋より六十七里」とあるがここは篠原一里塚
跡。左塚に松、右塚に榎が植えられていた。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図

舞阪一里塚跡碑 新居一里塚跡碑 白須賀一里塚碑
(68)舞阪一里塚跡 石碑
静岡県浜松市中央区舞阪町舞阪16
(69)新居一里塚跡 石碑・説明板
静岡県湖西市新居町新居1714
(70)白須賀一里塚跡 石碑
静岡県湖西市白須賀549
国道から旧東海道舞阪宿の町並みに入って数分
公園の入り口に秋葉常夜灯が立っているが、
その奥に石碑が建てられている。道路を挟んだ
対面の黒い石碑も一里塚跡碑
街道地図
新居宿を通り過ぎ京側桝形道の手前、街道の
端にひっそりと立っている。左塚に榎、右塚には
松が植えられていた。

街道地図
民家の前に小さな2本の石碑が立っているが、
一里塚碑は手前の黒い石碑で「一里山旧址」と
刻まれている。奥の新しい石碑は「高札場跡碑」。
*写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
街道地図

愛知県の一里塚

東細谷一里塚 二川一里塚跡碑 飯村一里塚跡 下地一里塚跡
(71)東細谷一里塚 左塚現存・説明板
愛知県豊橋市東細谷町一里山30−1
(72)二川一里塚跡 石碑
愛知県豊橋市二川町東町
(73)飯村一里塚跡 石碑
愛知県豊橋市三ノ輪町本興寺
(74)下地一里塚跡 石碑
愛知県豊橋市下地町四丁目3
白須賀宿から二川宿に向かう国道沿いにある。
説明板に、塚は東西11m、南北14m、高さ
3mと記されているのでかなり大きい。

街道地図
二川宿の東入り口、宿場案内所川口屋の角に
一里塚跡と刻まれた石碑が立つ。一里塚碑の
先、川口屋の宿場行灯、味がありますね〜

街道地図
二川宿を出て小一時間、国道1号への合流点にある三角地帯に石碑が立つ。説明板は無い。


街道地図
吉田宿を出てかれこれ30分、歩道際に飯村一里塚跡碑と同じデザインの下地一里塚碑が立つ。
ここも説明板は無い。

街道地図

伊奈一里塚跡 御油一里塚跡 長澤一里塚跡 本宿一里塚跡
(75)伊奈一里塚跡 石碑
愛知県豊川市伊奈町新町2
(76)御油一里塚跡 石碑
愛知県豊川市国府町流霞1
(77)長澤一里塚跡 標柱
愛知県豊川市長沢町欠田東海道
(78)本宿一里塚跡 石碑
愛知県岡崎市本宿町西木竹
山本太鼓店(現在は閉店中)の前、歩道際に
伊奈一里塚跡と刻まれた石碑が立つ。側面に
刻まれた文字は江戸日本橋より七十五里。
説明板は無い。
街道地図
信用金庫の駐車場前植え込みの中に建てられて
いる。ここから200mほど歩くと見付宿で別れ
本坂峠を越えてきた姫街道が合流してくる。

街道地図
石碑ではなく標柱が建てられている。木製である
ため傷みが激しく今は(2024年)文字が読め
ない状態。


街道地図
徳川家康が竹千代といわれた頃に手習いで
通った法蔵寺から7〜8分、道路際に立つ
石碑はかなり大きく見ごたえある。

街道地図

藤川一里塚跡 大平一里塚 左現存 幻の一里塚イラスト 矢作一里塚跡付近
(79)藤川一里塚跡 説明板
愛知県岡崎市藤川町一里山南14
(80)大平一里塚 左塚現存・石碑・説明板
愛知県岡崎市大平町岡田
(81)岡崎宿内一里塚 (82)矢作一里塚跡付近
愛知県岡崎市矢作町珠庵
藤川宿の終わり頃、十王堂の先左側に説明板が
建てられている。説明板に天保年間(1830〜)に
南塚がなくなり、昭和初期に北塚の榎が枯死、
とある。

街道地図
左塚が現存し昭和28年(1953)に植えられた
二代目の榎が元気よく成長している。右塚は
昭和初期に道路改修工事の際に破壊。塚が
あった場所には秋葉常夜灯が建てられている。

街道地図
岡崎宿内に一里塚があったがかなり早い時期に
消滅したことから場所は不明。




街道地図
石碑・標柱・案内板などが無いため築造場所の
特定が難しいが、分間延絵図を見ると矢作橋を
渡り最初の丁字路際に一里塚が描かれている
ことからこの辺りではないかと推測する。
*写真は三好様から提供して頂きました。
街道地図

尾崎一里塚跡 来迎寺一里塚 左塚 来迎寺一里塚 右塚 一ツ木一里塚跡
(83)尾崎一里塚跡 石碑
愛知県安城市尾崎町宮前7
(84)来迎寺一里塚 左塚現存・説明板
愛知県知立市来迎寺町足軽3
(84)来迎寺一里塚 右塚現存
愛知県知立市来迎寺町古城24
(85)一ツ木一里塚跡 石碑
愛知県刈谷市一里山町家下
岡崎宿先の矢作川を渡った先の矢作一里塚跡
から1時間、予科練の碑があるがそのすぐ先に
石碑がひっそりと立っている。隣に説明板がある
が、これは鎌倉街道跡を説明したもの。
街道地図
左右両塚とも現存という極めて貴重な一里塚。左塚は一部改造されていたが
修復され当初の姿に復元。右塚は原型を残しているが公民館の裏なので街道からは見えない。塚木は松が植えられている。

街道地図
明治18年(1885)の地籍図に東海道の両脇に
塚と記載されていたが、国道の拡幅で解体され
今は痕跡無し。歩道橋の下に説明碑が設置され
ている。刈谷一里山一里塚とも呼ばれている。
街道地図

阿野一里塚 左塚 阿野一里塚 右塚 有松一里塚 左右塚復元 笠寺一里塚
(86)阿野一里塚 左塚現存・標柱
愛知県豊明市阿野町長根3
(86)阿野一里塚 右塚現存・標柱・説明板
愛知県豊明市阿野町長根3
(87)有松一里塚 左右塚復元・石碑
愛知県名古屋市緑区有松
(88)笠寺一里塚 右塚現存・石碑・説明板
愛知県名古屋市南区白雲町下新町
国道1号から旧道に入って数分の場所に左右両塚が現存という貴重な一里塚がある。
塚上に各種植木が植えられミニ公園風になっているため一里塚の雰囲気は少ない。


街道地図
大正13年(1924)に民地に払い下げられその後
塚が消滅したが平成24年(2012)に国土交通省
が両塚を復元。
*写真は西村様から提供していただきました。
街道地図
右塚のみ現存しているが大正時代までは左塚も残っていた。塚上の榎は塚を掴むように大きく
根を張りまだまだ元気だぞと存在感たっぷり。

街道地図

伝馬町一里塚跡付近 宮宿 船着き場跡 海上七里の渡し船
(89)伝馬町一里塚跡
愛知県名古屋市熱田区伝馬二丁目4−4
宮宿 渡船場跡
愛知県名古屋市熱田区神戸町
(90)〜(96)海上七里の渡し
名鉄常滑線のガードを潜った先の三叉路際の
植え込みが一里塚跡といわれている。説明板
などは無い。
*写真は三好様から提供して頂きました。
街道地図
宮の渡し公園の一角に渡船場跡がある。



街道地図
宮宿渡船場から桑名宿までは舟渡しが主たる
ルートであったが、船酔いを嫌った旅人は佐屋
街道、巡検街道を通って桑名宿へ入った。

佐屋街道の一里塚
(1)五女子一里塚跡 石碑
愛知県名古屋市中川区五女子町
(2)岩塚一里塚跡 道路に絵タイル
愛知県名古屋市中村区岩塚町4丁目
(2)岩塚一里塚跡 歩道の絵タイル
愛知県名古屋市中村区岩塚町4丁目
(3)千音寺一里塚跡 標柱
愛知県名古屋市中川区千音寺町
新幹線のガードを過ぎた先の唯念寺山門脇に
「津島街道一里塚」と刻まれた石碑が建てられて
いるが、ここは五女子一里塚があった場所。

街道地図
旧岩塚宿の中ほど、岩塚交番前からさらに100mほどの所に岩塚一里塚があった。今は痕跡や説明板等はは無い。
*写真は三好様から提供していただきました
街道地図
この一里塚跡には歩道上に「佐屋街道一里塚」
と記された絵タイルが埋め込まれている

*写真は三好様から提供していただきました
名古屋第二環状自動車道のガード下を通って
しばらく歩くと道路際に「一里塚跡(佐屋路)」
と記された標柱が建てられている。
*写真は三好様から提供していただきました
街道地図

(4)神守一里塚 右塚現存・標柱
愛知県津島市神守町
(*)津島一里塚跡 説明板
愛知県津島市西柳原町1丁目
蟹江川に架かる下田橋を渡って約20分、神守町
交差点の向こうに見えるこんもりと木が繁った
小山が神守の一里塚。佐屋街道で唯一の現存一里塚である。
街道地図
埋田の追分(津島追分)から分かれて県道68号を歩くと清光院境内に説明板が設置されている。
この一里塚は佐屋街道ではなく津島街道のもの。
*写真は三好様から提供していただきました
街道地図

三重・滋賀・京都の一里塚
桑名宿渡船場跡 縄生一里塚跡 富田一里塚跡 三ツ谷一里塚跡
桑名宿渡船場跡
三重県桑名市東船馬町
(97)縄生一里塚跡 石碑
三重県三重郡朝日町縄生
(98)富田一里塚 石碑・説明板
三重県四日市市富田三丁目19−8
99)三ツ谷一里塚跡 石碑・説明板
三重県四日市市三ツ矢谷町6
木曽三川の河口に位置する桑名宿の入り口に
渡船場があり、本陣、脇本陣、問屋場に近い。
伊勢路の入り口でもあることから伊勢神宮
一の鳥居
が建てられているが、この鳥居は
式年遷宮ごとに建て替えられる。  街道地図
桑名宿を出て員弁川を渡り10分ほど歩くと
民家の壁際にひっそりと立ってる。
説明板などは無い。

街道地図
近鉄名古屋線の高架下を通った先に石碑が
建てられている。説明板が併設されているが
富田一里塚が史跡に指定されていること以外の
情報は得られない。
街道地図
海蔵川の手前に石碑と説明板が建てられている。
昭和20年代まで塚があったが海蔵川の拡幅工事
で川の中に取り込まれてしまった。この一里塚碑
は塚跡の近くということになる。
街道地図

日永一里塚跡 采女一里塚跡 石薬師一里塚跡 中富田一里塚跡
(100)日永一里塚跡 石碑・説明板
三重県四日市市日永五丁目2
101)采女一里塚跡 石碑
三重県四日市市采女町
(102)石薬師一里塚跡 石碑・説明板
三重県鈴鹿市上野町365
(103)中富田一里塚跡 石碑・説明板
三重県鈴鹿市中富田町
石碑が立つ場所は民家と倉庫の間の狭い隙間。
説明板には塚は5m四方で高さ2.5m。塚木の
エノキは明治2年(1869)に伐採され塚も姿を消した、と記されている。
街道地図
旧東海道から国道1号に合流して100m歩くと
国道の向こう側に石碑が建てられいる。合流する
200mほど手前に説明板が設置あり。昭和20年代まで塚があったが国道の拡幅工事で消滅。
街道地図
石薬師宿を出て才石川を渡ると大木の下に
常夜灯があり、隣に石碑と説明板が建てられて
いる。説明板に江戸時時代の川柳が一首。
 くたびれたやつが見つける一里塚
街道地図
中富田川俣神社の東隣に街道を挟んで榎の
大木がある大きな塚があったが、現在は塚の
痕跡は無い。塚の隣に亀山領の傍示石が
建てられていたが、この石柱は今も立っている。
街道地図

和田一里塚 野村一里塚 関一里塚跡 一ノ瀬一里塚跡
(104)和田一里塚 右塚復元・説明板
三重県亀山市和田町1488−154
(105)野村一里塚 右塚現存・石碑・説明板
三重県亀山市野村町737−1
(106)関一里塚跡 石碑
三重県亀山市関町木崎519
(107)一ノ瀬一里塚跡 石碑
三重県亀山市関町市瀬
幕府の命で亀山城主 関一政が一里塚を築造。
昭和59年(1984)までは塚の一部が残って
いたが道路の各幅工事で撤去されてしまった。
その後 塚跡地の東側に塚を復元。
街道地図
三重県内唯一の現存一里塚で国指定史跡と
なっている。塚木は榎ではなく椋(ムク)で
樹齢400年、。巨木が一里塚を鷲づかみ。
見れば見るほど凄い。
街道地図
関宿の東追分に伊勢神宮一の鳥居と常夜灯が
建てられているが常夜灯の後ろに一里塚跡と刻まれた石碑がある

街道地図
坂下宿の手前、国道際の崖上に「一里塚址」と
刻まれた石碑が建てられている


街道地図

荒井谷一里塚跡 山中一里塚跡 土山一里塚跡 大野市場一里塚跡
(108)荒井谷一里塚跡 標柱
三重県亀山市関町坂下519
(109)山中一里塚跡 石碑
滋賀県甲賀市土山町山中
(110)土山一里塚跡 石碑
滋賀県甲賀市土山町北土山813
(111)大野市場一里塚跡 石碑・説明板
滋賀県甲賀市土山町市場
坂下宿を出て国道に合流し10分ほど歩くと
歩道際に標柱が建てられている。標柱裏面
には「元坂下一里塚跡」と記載あり。
*写真は三好様から提供していただきました。
街道地図
鈴鹿峠を越えて40〜50分歩くと旧東海道が
国道1号に合流。合流点の公園入口に「山中
一里塚公園」と刻まれた石碑が建てられている。

街道地図
土山宿の中ほど、民家の入り口に石碑が建てら
れているが、この辺りの字名が一里山。


街道地図
野洲川に架かる歌声橋を渡って30分ほど歩くと
丁字路際に石碑と説明板が建てられている。
説明板によると、山中、土山、大野市場の塚の
大きさは高さ2.5m、円周12mであった。
街道地図

今在家一里塚 水口一里塚 泉一里塚 夏見一里塚跡
(112)今在家一里塚 左塚復元・石碑・説明板
滋賀県甲賀市水口町今郷611
(113)水口一里塚 右修復塚・石碑・説明碑
滋賀県甲賀市水口町東林口5−32
(114)泉一里塚 右塚復元・説明板
滋賀県甲賀市水口町泉337
(115)夏見一里塚跡 説明板
滋賀県湖南市夏見1498
明治の初年に撤去された一里塚だが、浄土寺の
前に左塚だけ復元された。塚木は榎だが当時は
桜が植えられていたと伝えられている。
この写真は日本橋方向を向いて撮影しました。
街道地図
当初はやや南方に塚があったが水口城の整備に
伴い五十鈴神社境内東端に移された。後方の塚
は往時を偲んで修復整備したもの。

街道地図
水口町3カ所目の一里塚で、モニュメントとして
復元されたもの。当時の塚は今より野洲川寄り
にあった。

街道地図
住宅地の中の道路際に説明板が設置されて
いる。一里塚の一般的な内容で夏見一里塚に
ついての記載は無い。
*写真は三好様から提供していただきました。
街道地図

石部一里塚跡 六地蔵一里塚跡 目川一里塚跡 野路一里塚跡
(116)石部一里塚跡 説明板
滋賀県湖南市石部西一丁目11−11
(117)六地蔵一里塚跡 石碑・説明碑
滋賀県栗東市石地蔵
(118)目川一里塚跡 (石碑・説明板
滋賀県栗東市目川
(119)野路一里塚跡 石碑
滋賀県草津市野路六丁目5−13
石部宿内に一里塚があったが明治2年(1869)に
宿駅制度が廃止されたとき撤去された。現在は
民家の前に説明板が設置されている。

*写真は三好様から提供していただきました。
街道地図
石部宿を出てかれこれ1時間、旧和中散三本舗
から数分先の小公園内に石碑が建てられている。
傍には小さな小さな塚が造られており植えられている塚木は榎ならぬ桜。

街道地図
民家の入り口に立派な石碑が建てられている。
説明板に、鎌田屋敷の東隅と旧北野家屋敷の
西隅に塚があり椋(ムク)が植わっていた、と
記されている。

街道地図
草津宿を出て国道1号を横断した先の公園内に
石碑が建てられている。明治14年(1881)に
官地が払い下げられ民有地となり 塚が消滅した。


街道地図

月輪池一里塚跡 粟津一里塚跡付近 石場一里塚跡付近 走井一里塚跡付近
(120)月輪池一里塚跡 石碑・説明板
滋賀県大津市一里山二丁目18
(121)粟津一里塚跡付近
滋賀県大津市晴嵐一丁目付近
(122)石場一里塚跡付近
滋賀県大津市松本二丁目8付近
(123)走井一里塚跡付近
滋賀県大津市大谷町27付近
草津宿と大津宿の間にあったこの一里塚は
大きな松の木が植えられていたが、明治末に
撤去された。大萱一里塚と記載された資料も
ある。
街道地図
「中山道浪漫の旅西編」によるとJR琵琶湖線の
石山駅から数分の駐車場辺りに一里塚が築か
れていたと推定できる。
*写真は三好様から提供していただきました
街道地図
「中山道浪漫の旅西編」によると義仲寺から7〜8分歩いた三叉路付近に一里塚が築かれていたと推定できる。
*写真は三好様から提供していただきました
街道地図
月心寺から50mほど京都寄りの石垣付近に
一里塚があったと推定できる。傍らにある道標に
刻まれた文字は「右一里丁 左大谷町」。
*写真は三好様から提供していただきました
街道地図

御陵一里塚跡付近 三条大橋三条大橋
(124)御陵一里塚跡付近
京都府京都市山科御陵鴨戸町28−9付近
京都三条大橋
「中山道浪漫の旅西編」によると天智天皇山科綾の
入り口先から旧東海道に入り5分ほど歩いた辺りに
一里塚が築かれていたと推定できる。表示は無い。
写真は三好様から提供していただきました
街道地図
最初に橋が架けられた時期は室町時代初期とされているが、天正18年(1590)に
豊臣秀吉の命により増田長盛が本格的な橋を築造。元禄以来たびたび橋の改修工事が
行われたが昭和25年(1950)に大改修を行い現在の姿となった。
 
東海道の一里塚・上へ    三条大橋へ    表紙へ戻る.