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西浦賀道 道中記 

①戸塚から鎌倉まで前半   ①戸塚から鎌倉まで後半  ②鎌倉から葉山一色まで前半  ②鎌倉から葉山一色まで後半  ③葉山一色から大津まで

①戸塚から鎌倉まで後半
大船・離山富士見地蔵から鶴岡八幡宮二の鳥居まで
街道地図

住宅地の中を通ってきた西浦賀道はJR横須賀線の踏切を渡り北鎌倉へと入っていく。鎌倉五山の円覚寺、建長寺下を通り
巨福呂坂洞門を抜けると鶴岡八幡宮の横に出る。今回の旅は八幡宮西鳥居から流鏑馬道に入り段蔓を通って二の鳥居まで。

 平成29年6月1日
東海道戸塚宿から分かれた西浦賀道は、倉田、小菅ヶ谷、笠間を通って離山富士見地蔵前に到着。

ほどなくJR横須賀線の踏切を渡るがその手前に見える茅葺の門は「成福寺山門」(左)。茅葺とは味があるね~
この寺は三代執権北条泰時の子、泰次によって開かれた鎌倉で唯一の浄土真宗の寺。 ここには映画「寅さんシリーズ」の柴又帝釈天の御前様であった俳優・笠智衆氏が眠っている。

本堂裏手の崖下に幾つかの窟があるが泰次が沙門院泰次入道と名乗っていた頃に修行したという「亀の窟(右)。案内板が無いためどれが亀の窟かは分からない。

JR横須賀線踏切を渡って数分、県道にぶつかるが、ここに架かっている「水堰橋」(左)には幾つかの云われがある。
その一つ。
鎌倉に駆け付けた武士達はここで勢揃いして隊列を整えた。その勢揃いが訛りに訛って「せいしく」に。さらに訛って、すいせき=水堰 だとか。 訛りすぎ  橋際に建てられた石塔は観音道標とせゐ志く橋碑

水堰橋は渡らず左に曲がって十数分、小袋谷川に架けられた橋は鎌倉十橋の一つ「十王堂橋」(右)。その昔、この近くに十王堂があったのでこの名が。

北鎌倉駅裏の円覚寺は鎌倉五山第2位。弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が蒙古襲来による殉死者を敵味方の区別なく平等に弔うために建立。 階段上の「山門(三門)(左)は天明5年(1785)に再建されたものだが掲げられている扁額は伏見上皇(1287~98)から賜ったもの。

ちょっと離れているが左手の長い階段を上がると「国宝の梵鐘」(右)が見られる。洪鐘(おおがね)と呼ばれる梵鐘は正安3年(1301)に北条貞時が国家安泰を祈って寄進したもので総高2.6m、直径1.5mという大きなもの。 円覚寺の詳細はこちらをご覧ください。

円覚寺は見所が多いが寺参りが目的ではないので先を急ぐことに。

街道に戻り数分、右奥の茅葺門は「東慶寺山門」(左)。
縁切り寺で有名な東慶寺は北条時宗夫人の覚山尼が時宗の菩提を弔うために弘安8年(1285)に開創。明治に至る600年もの間、縁切り寺法を守ってきたという。

その先の浄智寺は鎌倉五山第四位。29歳で没した北条時頼の三男・宗政の菩提を弔うために創建。苔むした参道の先に見えるのは鎌倉では珍しい「鐘楼門」(右)。

建長寺は鎌倉五山第一位。鎌倉幕府五代執権北条時頼が建長5年(1253)に建立した禅寺。文化財の宝庫で見どころが多い。入り口の「総門」(左)は天明3年(1783)に建立された京都槃舟三昧院の門を移築したもの。

山門を通り奥まで入ると絢爛豪華な「唐門」(右)が。唐破風造り漆塗りの四脚門は寛永5年(1628)、二代将軍秀忠夫人(お江の方)の霊屋の門として建立されたが正保4年(1647)に建長寺に寄付。
 建長寺の詳細はこちらをご覧ください。

建長寺を出ると緩い上り坂。その先に「巨福呂坂洞門」(左)が見えるが この道は明治に入ってから開削が行われたもので鎌倉時代に北条泰時が造ったと云われる旧巨福呂坂とは違う。

その旧巨福呂坂は建長寺の先あたりから山越えしたようだが現在は消滅。鶴岡八幡宮の自動車お祓い所前から旧道の一部に入ることができる。緩い坂道を上っていき青梅聖天社の下を通ると庚申塔や道祖神などの「石仏・石塔」(右)が並んでいるのが旧道であった証拠。残念ながらこの先は行き止まり。

鶴岡八幡宮西鳥居から流鏑馬道に入ると公衆トイレの前に「よじべえ石」(左)なる大石が横たわっている。「関東大震災の時に海底が隆起して現れた石」 ということだが説明板が無いので詳しいことは分からない。
 よじべい石の詳しいことはこちらを

流鏑馬道を進むと「鶴岡八幡宮参道」(右)と交差。ここはいつ来ても賑やかだ。 この先は三の鳥居をくぐって改修工事が終わった段蔓に入るのだが できたての道は気持ちいいね~

段蔓沿いの道に鎌倉市景観重要建築物が2棟あるのでご紹介。
三の鳥居から数分、酒店の「三河屋本店」(左)は明治33年(1900)の創業。建物は昭和2年(1927)の建築。伝統的な出桁造りが懐かしい。敷地奥にはトロッコレールも残されているそうだ。

その数軒先の「湯浅物産館」(右)は明治30年(1897)の創業。 この建物は昭和11年(1936)に建てられたもので、いわゆる看板建築と呼ばれるもの。   この先の鶴岡八幡宮二の鳥居を横に見て今回の旅はここまで。

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