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白井宿は鎌ヶ谷宿と同様の継ぎ場であったが全体の距離が短い街道であるため宿泊客は少なく、
規模の小さい宿場であった。文政8年(1825)、渡辺崋山が江戸麹町の自宅を早朝に発ち、
その日の夜に白井宿に泊まったという記録が残されている。 |
県道を歩いていると道路標示に「根」(左)と記されている。地図を調べると白井市にはその他にも 木 ・ 中 ・ 複 という一文字の地名が見られる。なんと、一文字の地名だけを集めているマニアがいますねー。
ほどなく到着した神社は「天神社」(右)。由緒は不明だが『白井新田村四百年記念碑』の内容がユニーク。
徳川歴代の将軍名とその時の村の有力者名が刻まれているのだ。最初は徳川家康、その横には後藤々左エ門、次ぎは秀忠と橋本任エ門、以下歴代の将軍名と有力者名が続く。 |
この神社でもう一つのユニークは「狛犬」(左)。なんと、無精にも腹ばいになっているではありませんか。これには訳がありそうだ。天神社の氏子の方なら知っているかも。
天神社からかれこれ40分ほど歩いた右側(小学校の対面)の土手の上の「石塔群」(右)にもユニークな石塔が。
馬頭観音や道標などの中に文化12年(1829)建立の一億供養塔と刻まれた石塔がある。当時の日本の人口は3千万人程度と言われているが一億と大きく出たもんだ。 |
国道16号を横断して5〜6分、「そろばん博物館」(左))なる看板が。早速見学することに。石戸館長が説明して下さったのだが この方は無類のそろばん好き、と言うよりそろばんに狂っているのだとか。
「そろばんの展示」(右)は少々地味だが そろばんに係わるユニークな展示物が見られるのでぜひ立ち寄ってみては。
そろばん博物館のホームページはこちらです。
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そろばん博物館のすぐ先の三叉路に「馬頭観音」(左)や幾つかの石塔があるのだが 雑草に埋もれてしまっている。誰も手入れをしないようで、残念だねー。
その先の左奥は弘安年間(1278〜87)に秋本太郎左衛門尉勝光なる人物が建立した「秋本寺(しゅうほんじ)」(右)。
太郎左衛門は日蓮聖人の説法を聞きいたく感銘、法華経堂を建ててしまったのだとか。 |
さらに数分歩いた先を左に入ると鳥見神社。入口の「石造鳥居」(左)は正徳3年(1713)に建てられたもので白井市の指定文化財。この神社は見事に神仏習合といった感じで境内の不動堂に お不動様が鎮座。また、銅鏡に十一面観音を取り付けた懸仏が代々伝わっているのだそうだ。
宿場時代の面影少ない白井宿であるが鳥見神社を出て4〜5分歩くと僅かな区間であるが「旧街道の雰囲気」(右)が味わえる。 |
またまた寄り道を。向った先は「みたらしさま」(左)。祭られている弁財天が「みたらしさま」と呼ばれているようだが詳しいことは分からない。
また、神社の隣にある「みたらしの池」(右)は信仰の池。無病息災・眼病治癒に効果があるとのこと。近くの鳥見神社の祭礼には池の水でご飯を炊くのだとか。 |
街道に戻るとすぐ先は神崎川に架かる白井橋であるが、その手前の土手下に据えられているのは「伊勢宇橋碑」(左)。
江戸浅草きっての大商人・伊勢屋宇兵衛が亡き父親供養のため江戸崎町(現稲敷市)から日本橋までの川に100カ所の橋をかけたのだが、この石碑には八十六ケ所目と刻まれている。
白井橋を渡り坂道を上り切ると土手上に「庚申塔」(右)が並んでいるのだがなんとも奇妙、真っ赤に塗られている。一番右の庚申塔はつい最近の平成六年(1994)三月吉日建立。 |
ところで白井橋を渡った先の地名を「神々廻」という。なんと読むのでしょうか。「ししば」です。難しい読みだなー。
この先でちょっと遠いが寄り道を。向った先は「厳島神社」(左)。祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)・弁財天である。そういえば 神社の後ろに広がる池は弁天池であった。
街道に戻ったらまたまた寄り道を。今度は白井市に多い鳥見神社。拝殿はごく普通だが裏に回ると最近修復された「素晴らしい本殿」(右)が見られる。もともとは明和5年(1768)に再建されたもの。 |
街道に戻り5〜6分、変則五差路の向こう側に「馬頭観音」(左)が3基。 その内の1基は「左 ひらつかみち 右 うらべみち」と刻まれ道標を兼ねた馬頭観音であった。
街道はこの先の白井バス車庫前を過ぎると真っ直ぐな道がはるか彼方まで続いている。
ほどなく街道際に鳥居が立ち階段を上った所に神社があるのだが神社名がどこにも無い。なんとも殺風景な神社だが地元の人に聞くと「香取神社」(右)だという。 |
白井宿にはユニークなものや奇妙なものがあり飽きない街道歩きであったが次ぎの大森宿はどうだろうか。 |
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