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六郷田無道 道中記

①六郷から池上本門寺  ②池上本門寺から大岡山  ③大岡山から千歳船橋  ④千歳船橋から三鷹  ⑤三鷹から田無

①六郷から池上本門寺まで 街道地図


六郷田無道のスタートは多摩川の河口、大きく蛇行している左岸の堤防下に鎮座している北野天神から。
この場所は旧東海道六郷の渡しがあった場所。また、この辺りは青梅・奥多摩の山地から木材を切り出し
筏に組んで多摩川を下ってきた木材の集散地でもあった。
北野天神を出たら旧東海道を歩いて六郷神社に寄り道し、国道15号(第一京浜国道)を横断した後はほぼ
真っすぐに北進して池上本門寺に寄り道を。

令和元年5月30日

京浜急行六郷土手駅から3~4分の「北野天神」(左)は別名「止め天神」の愛称で親しまれている。
江戸時代、八代将軍吉宗が乗った馬が暴走。ところが天神様の前でピタリと止まり危うく落馬をまぬがれたという。以来、悪い事を止める天神様として人気がある。

この地は旧東海道の「六郷の渡し」(右)があった場所。説明板によると中世から近世初頭にかけ何度も架橋されたが洪水で流出。その後は明治に入るまで渡し舟であった。明治7年(1874)に木橋が掛けられたがこれも流失し強固なコンクリート橋が架けられたのが大正14年(1925)であった。その時の橋門と親柱がすぐ裏の宮本台緑地に保存されている。

北野天神を出て国道15号の下を潜ると旧東海道が国道と並行して北進。
5分ほど歩くと「旧東海道跡碑」(左)が。正面には「旧東海道跡」と刻まれ側面には「六郷の渡し跡へ」。

さらに数分、右に曲がった奥は「六郷神社」(右)。 前九年の役(1051~62)に勝利した源義家・頼義父子が凱旋後、京都の石清水八幡宮の分霊を勧請したのが当社の創建と伝えられる。 神門前の神橋は梶原景時の寄進と伝えられている。
境内左手の狛犬は貞享2年(1685)に奉納されたもので大田区内最古の狛犬。なんとも愛嬌のある顔。

六郷神社を出たら国道15号(第一京浜国道)を横断し池上本門寺に向けて真っ直ぐ北進していくのだが途中でちょっと寄り道を。

向かった先は保元元年(1156)に創建されたと伝わる法幢院。本堂前の「鐘楼に下げられた梵鐘」(左)は江戸時代初期の延宝9年(1681)に多摩川の河原で鋳造されたもの。 鐘楼の下に小さな水船があるが これは寛永20年(1643)に製作されたもので大田区内最古の石造物。

もう一か所寄り道を。多摩川の堤防下にある安養寺は永禄11年(1568)の開山。江戸時代には古川薬師として人気があり行楽地となっていた。その門前に「古川薬師道 道標」(右)が建てられている。延宝2年(1674)に東海道の雑色から多摩川道に入る分岐点に建てられた道標だが区画整理のため現在地に移されたもの。

街道に戻るとその先は遥か彼方まで真っ直ぐな道が続くが20分ほど歩いたら寛仁3年(1019)開基の古刹「大楽寺」(左)に寄り道を。江戸時代には徳川二代将軍秀忠が 三代将軍となる家光のために経文一巻と朱印を奉納。同時に葵の御紋使用が認められたことから大香炉や軒瓦など各所に葵の門が使われている。

東急多摩川線の踏切りを渡り 池上線の踏切りを越えるとその先は線路に平行した「真っ直ぐな道」(右)。その先に池上本門寺があるのだがこの辺りには道標が一本も見当たらない。江戸時代は真っ直ぐな道の先に本門寺の伽藍が山の上に見えたので道標など必要なかったのだろう。

左へ曲がる池上線と分かれ10分ほど歩くと池上本門寺の参道へ到着。丁字路左側は久寿餅の「藤乃屋」(左)。 以前は元禄9年(1696)創業の相模屋であったが店主高齢のため閉店され 親戚の方が新たに藤乃屋の暖簾で再開したのだとか。 道路を挟んだ反対側も江戸時代から続く久寿餅専門の池田屋。

藤乃屋(旧相模屋)の店前に「道標」(右)があるが これは旧相模屋初代店主が元禄9年(1696)に建てたもの。正面に題目が刻まれ側面に「これよりひたり かわさき道 古川道」。
六郷田無道は丁字路を右に曲がるのだが この道は鎌倉街道下道。田無道はすぐに左へ曲がり本門寺の参道へ入って行く。

参道入り口の古民家は江戸時代に茶屋を営んでいたという「萬屋酒店」(左)。この辺では大変珍しい厨子2階建て出桁造りの建物は明治8年(1875)に建てられたもので国登録有形文化財。

萬屋酒店の先に「南無妙法蓮華経」と刻まれた文化8年(1811)建立の「題目碑」(右)が1基。その先の霊山橋を渡ると池上本門寺総門が見える。総門を入ると本門寺の境内だ。

総門を入った目の前の石段は加藤清正の寄進によって造営されたと伝えられている。別称を「此経難持坂(しきょうなんじさか)(右)というが法華経の偈文96文字にちなみ96段に構築。

石段を上り仁王門を潜るとその先に「本門寺大堂」(右)。弘安5年(1282)、日蓮が病気療養のため常陸へ向かう途中に立ち寄ったのが池上郷。ここに一宇を建立し開堂供養したのが本門寺の起源。日蓮はここに20数日間逗留した後、当地で入滅。
大堂右手の五重塔に向かう途中、前田利家側室(寿福院)と加藤清正側室(正応院)の層塔という思わぬものが。

大堂前広場を右に入った奥の「五重塔」(左)は二代将軍秀忠の乳母、春日局の発願により慶長13年(1608)に完成したもので、関東最古の五重塔は国の重要文化財。

大堂裏手から階段を下ると重要文化財の「多宝塔」(左)が見られる。 宗祖日蓮を荼毘に付した場所に建つ供養塔で文政11年(1828)に上棟。日蓮大聖人所持の念珠が奉安されている。
本門寺には少々長居しすぎたようだ。先を急がねば。

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