千歳通りに入って20数分、塚戸十字路際の「庚申堂」(左)に享和2年(1802)の文字庚申塔が祀られているが、これは道標になっており次のように刻まれている。正面に「東 世田ケ谷 道」、側面に「南 二子道」 「北 高井土道」、背面の西方面は読み取れない。四方向が示されているということは十字路の真ん中にあったのだろう。
数分歩いた先の塚戸公園前の道路際に「六郷田無道説明碑」(右)があり次のように記されている。
この道は、かつて「府道六郷田無線」といって、今の中央線である甲武鉄道が明治22年に新宿~八王子間に開通するまでは、六郷・蒲田方面から大岡山・上馬を経て給田の北縁を通り三鷹を経由して田無方面に通じる昔の往還でした。今では狭いうえに交通量も多く、古い道とは想像もできませんが地形に素直に合っている道筋は、なぜか人の匂いがあります。 |