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六郷田無道 道中記

①六郷から池上本門寺  ②池上本門寺から大岡山  ③大岡山から千歳船橋  ④千歳船橋から三鷹  ⑤三鷹から田

②池上本門寺から大岡山まで 街道地図


池上本門寺の総門まで戻ったら塔頭寺院が並ぶ池上台地の裾野を西進し国道1号(第二京浜国道)を横断。
その先も台地の裾野を通り新幹線と湘南新宿ラインのガードを越えていく。越えた先からは雪谷台地の
尾根道に上り石川台を通って大岡山に抜ける道と雪谷台地の裾野を通って大岡山に抜ける2本の道に
分かれる。今回は雪谷台地の尾根道を通って大岡山に抜けることにした。

令和元年5月30日

総門まで戻ったら右へ曲がり本門寺塔頭や車坂を右に見ながら4~5分、右奥の「本行寺」(左)は日蓮上人入滅の地。 日蓮が郷主・池上宗仲氏の館で逗留中に没すると、その居館が寄進され本行寺の開創に至った。 境内には ご臨終の間 や 灰骨堂・硯井戸・旅着堂 などがあり日蓮の一端に触れることができる。

本行寺を出たら国道1号(第二京浜国道)を越え大森第十中の校庭脇から右に曲がる道が旧道。大尽坂下十字路際の御堂は「庚申堂」(右)。中に安置されているのは享保3年(1787)造立の「南無法蓮華経 庚申」と刻まれた文字庚申塔。側面が道標になっているようだが残念ながら見ることができない。

数分歩くと丁字路の右から六郎坂が下ってくる。ここを左に曲がると先ほど分かれた道に合流。

右手高台の「子安八幡神社」(左)は当地の領主であった池上右衛門太夫宗仲が康元元年(1256)に鎌倉・鶴岡八幡宮の分霊を勧請して池上山に池上郷の鎮守として創建。天正9年(1581)に池上本門寺の伽藍造立にともない現在地へ遷座。

この先は新幹線・湘南新宿ラインの高架橋工事等で旧道が消滅し旧道ルートがはっきりしない。とりあえず高架橋の手前を左に曲がりバス通りに出たら右に曲がると「長慶寺」(右)の前。
長慶寺は目黒・碑文谷に創建された法華寺の末寺であったが法華寺が元禄期に幕府の弾圧を受けたことから池上本門寺の末寺に変わり当地へ移転。墓地に題目塔を兼ねた道標があるということだが見つけることができなかった。

長慶寺の南東側にある遊歩道は「洗足流れ跡」(左)。池上用水とも呼ばれたこの流れは洗足池から流れ出た水で周辺の田畑を潤しながら呑川に注いでいた1.5kmほどの小さな流れ。もう少し上流は開渠だが この辺りは残念ながら暗渠のため流れは見られない。

遊歩道の終わった所に「庚申塔」(右)が2基。右側は享保7年(1722)、左側は正徳2年(1712)の造立。右の庚申塔は道標を兼ねており刻まれた道筋は「右瀬田谷村道 左九品仏道」。

庚申塔の先で道は二手に分かれる。右の花抜坂を上る道が先ほどの道標の「右瀬田谷村道」で雪谷台地の尾根道を通り池上線石川台駅の北側を通って大岡山に向かっている。
一方、真っ直ぐ進む道は雪谷台地の裾野を通る道で石川台駅の南側を通り東京工業大学の校内を通って大岡山に向かっていた。

今回は「花抜坂」(左)を上り大岡山に抜けることに。 
花抜坂 とはちょっとロマンある坂名だが日蓮が洗足池から池上へ向かう途中、美しく咲き乱れる野花を思わず手折ったことから花抜の地名で呼ばれるようになったという。

花抜坂を上ったらそのまま真っ直ぐ進みたくなるが この道は昭和初期の耕地整理で出来た新道。 旧道は池雪小学校の先辺りから尾根に向かう道だったようだが今は消滅。池雪小学校の先を右に曲がると荏原病院通りに出るがこの道が旧道の「尾根道」(右)。

尾根道を歩いていると荏原病院の対面に祠があり「庚申塔が2基」(左)。2基とも上部が欠けているが これは戦災で欠けたのだとか。だが祠に納められ大事にされているようだ。

もう少し先の祠の中に祀られているのは「庚申塔と釈迦如来」(右)。庚申塔は享保14年(1729)、釈迦如来はかなり古く天和3年(1683)の造立。

尾根道を西に向かって歩くと裾野道へ下る坂道が何本もあるが、その中の宮前坂を下る途中に鎮座しているのは「雪谷八幡神社」(左)。 当社の創建は永禄年間(1558~69)に管内巡視中の北条氏康の臣 太田新六郎が当地にて法華経曼荼羅の古碑を発掘。その奇瑞により八幡大菩薩を創祀したのが始まりとか。

境内裏手に7基もの「庚申塔」(右)が集められ2棟の祠に納められている。天和元年(1681)、元禄4年(1691)、元禄10年(1697)などかなり古いものも。

尾根道に戻り東急池上線の上に架かる笹丸橋を渡ると中原街道と交差。その先は洗足池小学校の敷地となり旧道は消滅。

小学校の東側をコの字型に迂回して旧道に戻ると十字路際の「出穂山地蔵堂」(左)に祀られているのは子育地蔵や庚申塔、如意輪観音。

出穂山地蔵堂の50メートルほど先の十字路を左に曲がると秩父34ヵ所、西国33ヵ所、坂東33ヵ所の霊場巡礼達成を記念して建てた「百番巡礼供養塔」(右)が。供養塔は道標になっており、右側面に「右 いけかみミち 左 め くろみち」、左側面には「くほんふつみち 志な加わミち」と。
「いけかみミち」とは今まで歩いてきた道のことだろう。

供養塔の先は丁字路となり花抜坂の途中で分かれた新道に合流。道路の向う側は東京工業大学の構内。 フェンスの向うに見えるのは「出穂山稲荷大明神」(右)。 花抜坂の下で分かれ雪谷台地の裾野を通ってきた道が東京工業大学の西側を通っており、この先で大学構内を通り大岡山で尾根道と合流。

大学のフェンスに沿って北に向かうと ほどなく東急の大岡山駅前に出るがその少し手前にある真っ赤な鳥居は「赤松稲荷神社」(右)。かつて赤松の大木があったことからこの名前が。

今回の街道歩きは大岡山駅前で終了。

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