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旅人 日光御成道 道中記 御成道碑
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(1)岩淵宿 街道地図

東京23区内唯一の 『造り酒屋』 が岩淵宿に有りました。

岩淵宿は御成道の初宿であるが 千住・品川・新宿・板橋宿のような街道初宿としての賑わいは少なく むしろ荒川の水運による物資の集散地としての賑わいが大きい宿場といえる。宿場の機能としては次の川口宿と合宿であった。

 平成19年6月14日

十条台の交差点道標?

名主の滝を出て三平坂を上ると本郷通り延長の広い車道に突き当たる。一方、地蔵坂を上ってきた御成道は広い車道を斜めに横断して自衛隊の敷地をかすめて行く。

うっかり広い道を進んでしまい「十条台の交差点」(左)で気づいたが戻るのも癪だ。どうせ合流するのだからと直進の細い道に入って行く。

ほどなく御成道(古鎌倉街道)が左から合流。御成道側に「道標?」(右)があるが文字は全く判読出来ない。庚申塔かもしれないが風雪に耐えた姿が痛々しい。 コメント:道路各幅工事のため今はありません。


地福寺王子の三地蔵

御成道に戻れたので一安心。ほんの1〜2分歩くと「地福寺」(左)の山門が見えるが山門までの道を 茶垣の参道 と称している。この周辺はかつてお茶が栽培され王子のお茶として名物だった。後年、参道にお茶の木を植えたことから茶垣の参道と呼ばれるようになったのだとか。コメント:茶垣の参道はその後の道路各幅で消滅しました。

山門の左に地蔵様が6体。六地蔵ということではないようで左の大きな地蔵尊は「王子の三地蔵」(右)の内の一尊。 鎌倉街道のお地蔵様 とも呼ばれた地蔵で江戸中期の造顕。


富士塚六面憧

地福寺を出て数分歩いた先の小山は「富士塚」(左)。ミニ富士山の山腹に石碑が沢山建てられているが天保年間(1830〜44)から信仰の対象になっていたようで、当時は登山道も整備されており ここで 富士山に登ったつもり。

富士塚から4〜5分歩いた右側の西音寺入り口脇に「六面憧」(右)と言われる珍しい地蔵が鎮座。六道に迷う人々を救うという六地蔵と同じ思想で造られた地蔵様だが この辺では珍しい。


清水坂三角の家

西音寺先の環状7号を横断し しばらく歩くと「清水坂」(左)の下り。昔は十条の長坂と言われ けわしい坂道だった。

清水坂を下り埼京線のガードをくぐると その先に御成道を歩いた人がよく話題にする「黒っぽい木造の家」(右)が見えてきた。三叉路の三角地帯に合わせて建てられており、なるほど、話題を提供する家だ。 コメント:平成29年1月の確認では解体されており見られません。


庚申塔と真正寺坂普門院鐘楼門

数分歩き交番の前を左に曲がると「庚申塔がありその先は真正寺坂」(左)。この庚申塔は明和6年(1769)の建立。後ろの説明ポールによると庚申塔には「いたはしみち」と刻まれ御成道と中山道を結ぶ道だと記されている。地図を見るとこのずっと先で中山道に合流。 

1〜2分先を左に入ると竜宮城のような建物が見えるが これは「普門院鐘楼門」(右)。納骨堂もちょっと変わった形をしているので一見の価値あり。


稲付城跡太田道灌御影堂静勝寺本堂前の狛犬

街道に戻り4〜5分歩いて再び左に入ると突き当たりの階段上が太田道灌が築いたと伝わる「稲付城跡」(左)で現在は静勝寺の境内。階段を上ると正面の「太田道灌御影堂」(右)の中に太田道灌の座像が安置されている、ということだが柵で囲われ中は見えない。なんと御影堂右手の静勝寺本堂前に狛犬が。

街道はこの先のJR赤羽駅前で消滅。というと大げさだが赤羽駅を斜めに横切っていたため駅で寸断されてしまった。駅の自由通路を通って東口に移り左に曲がってJRの高架沿いから商店街を抜けると宝憧院の前。


宝憧院門前の道標北本通り

宝憧院門前に建てられている石塔は旅人に取って大変貴重な「道標(みちしるべ)(左)。元文5年(1740)に造立されたものだが文字はしっかりと読める。「南 江戸道」 「東 川口善光寺道 日光岩付道」と。

道標に従って東へ進むと「北本通り」(右)と呼ばれる国道122号に合流。この道をどこまでも歩くと日光東照宮。


造り酒屋の小山酒造問屋場址碑

北本通りへ入った辺りから岩淵宿になるのだが当時の面影は見あたらない。

しばらく歩くと東京23区内では唯一の造り酒屋「小山酒造」 (左)。創業は明治11年(1787)。 秩父山系を源流とする伏流水を使用した こだわりの大吟醸 が旨い。

小山酒造隣りの石碑は 岩槻街道岩渕宿問屋場址之碑と刻まれた「問屋場址碑」(右)。これが唯一往時を伺わせてくれる。


ついに県境岩淵渡船場跡の説明板

小山酒造先の交差点を越えると「ついに県境」(左)。交番の横に埼玉県の道路標識が。

新荒川大橋を渡ると埼玉県に入るのだが荒川の堤防に寄り道を。堤防に下り「岩淵渡船場跡の説明板」(左)を読むと 「源義経がここを渡り、 室町時代には関所が設けられ、徳川将軍が渡るときは舟橋が設けられ、明治に入ると舟橋ができ、 昭和3年(1928)に新荒川大橋が開通した」 とある。


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