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日光御成道 道中記 
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駒込から王子界隈へ 街道地図

「飛鳥山 なんと読んだか 拝むなり」 「飛鳥山 どなたの墓と べらぼうめ」

駒込に入った御成道は駒込橋の先で妙義坂を下り 霜降橋の先で大炊介坂を上る。上った後しばらく平坦地を歩き再び六石坂・飛鳥大坂を下り
今度は
権現坂の途中から地蔵坂を上るという坂の多い街道である。しかし、途中には旧古河庭園が有り、西ヶ原一里塚が有り、八代将軍吉宗が
しばしば訪れたという飛鳥山があり、と結構楽しめる区間でもある。

 平成19年6月14日

染井霊園から本郷通りに戻り山手線上の駒込橋を渡ると妙義坂と呼ばれる下り坂。100mほど下った先、ビルの一角の「創業寛永7年(1630)と看板に書かれた店は和菓子の「千鳥屋」(左)。 延々400年近くこの地で商売を続けてきたとはすごいナー。
 コメント:千鳥屋は閉店されました。

坂の途中、右側に見える御堂は「妙義坂子育て地蔵」(右)。寛文8年(1668)に駒込の今井家が子孫繁栄を願って祀ったもの。だがまてよ、古さでは千鳥屋さんには負けるなー。


子育て地蔵尊対面の路地を左に入ると坂の名前にもなった「妙義神社」(左)に行かれるが ここも歴史ある神社。教育委員会の説明板によると白雉2年(651)に白鳥社として創建されたのがスタート。太田道灌も戦勝祈願したという由緒ある神社なのだが何故「妙義」なのかは説明が無い。

街道に戻り さらに坂を下って霜降橋交差点を渡った少し先の左側に「ことぶき地蔵」(右)が。云われ等の説明は無いが地元の人達からは大事にされている地蔵様のようだ。
コメント:ことぶき地蔵堂は平成27年に解体され現在はありません。地蔵尊は近くの無量寺の門前に遷座されたようです。


ことぶき地蔵前の大炊介坂を上り石垣に沿って左に曲がると「旧古河庭園」(左)の入り口。明治から大正にかけて造られた洋・和風の庭園が素晴らしい。

門を入ると目に飛び込んできたのはジョサイア・コンドルが設計した「石造りの洋館」(右)。

洋館の下は「洋風庭園」(右)であるが谷まで下ると和風庭園が造られており六義園とは違った趣のある庭園を楽しむことができる。


旧古河庭園を出た後、向かった先は「平塚神社」(左)。
神社入り口の由緒書きによると「源義家(八幡太郎義家)から賜った鎧と十一面観音を・・」とあるので平安時代末期の話。ところで何故「平塚」? 鎧と観音を平たい塚に埋めたのだそうです。

平塚神社を出て7〜8分、着いた所は「西ヶ原一里塚」(右)。江戸から2番目の一里塚であるが左右とも現存しているという貴重なもの。写真は右側の一里塚。


一里塚の少し先から下り坂となるが この坂を「六石坂」(左)という。歩道際の説明碑によると 「・・坂上に祖六石を納める水田あり故に云う」とある。単純な云われであった。

この坂の右側が八代将軍吉宗が鷹狩りの際しばしば立ち寄ったという飛鳥山で今は公園。

飛鳥山の南側は渋沢栄一の居宅があった場所で現在は旧渋沢庭園。焼失を免れた「晩香慮(ばんこうろ)(右)と青淵文庫は重要文化財に指定されている貴重な建物。


「飛鳥山 何と読んだか 拝むなり」    「飛鳥山 どなたの墓と べらぼうめ」
とは「飛鳥山碑」(左)のことを詠んだ川柳。

飛鳥山碑には将軍吉宗の治世が行き届いて世の中太平である事、等縷々記されている。格調高く尚書形式で、しかも斜文字で刻まれているため難解の碑といわれ ついに川柳に詠まれてしまったのだ。

飛鳥山の下を「都電」(右)が走っている。懐かしーい。東海道を歩いているとき吉田宿で路面電車を見たが それ以来だ。走る音がなんとなく頼りなげなのがいいんだなー。   


御成道は都電に沿って右に曲がり飛鳥大坂を下って行くのだが ちょっと寄り道を
真っ直ぐ進むと音無橋であるが橋の下は「音無親水公園」(左)。この辺りの渓谷は江戸時代には物見遊山の客で賑わう観光名所だった。

街道に戻り飛鳥大坂を下ったら王子駅の手前をJRの高架に沿って左へ曲り商店街を抜けて左の権現坂を上って行く。 

上った先の王子神社の一角に祀られているのはかもじ業者が建立した「関神社」(右)。滋賀県大津の関蝉丸神社が髪の祖神なので江戸時代に かもじ業者がここに勧請したのだとか。


先ほど上って来た権現坂を戻ると その途中に鎮座しているのは「子育て地蔵」(左)。下から上ってくると右側になるが御成道は地蔵様の前を通ってさらに地蔵坂を上って行く。

寄り道したい場所があるので地蔵坂には入らず坂を下って十字路を左に曲がることに。

曲がって数分、美味しい久寿餅を売っているお店は「石鍋商店」(右)。明治に入ってからの創業のようだが作り方は江戸時代のまま。餅っとして軽い酸味の効いたくず餅は絶品。
  


石鍋商店の少し先に「王子稲荷神社入り口門」(左)があるが ここからは入れない。神社に入るには神社横の「王子稲荷の坂」(右)を上って行く。

王子稲荷は関東の稲荷神社の総元締めで大晦日の夜には関八州のお狐様が集まってくるのだとか。そのため江戸の夜が狐火で昼のように明るくなった、なんてことは・・・無いな。

江戸時代には大変隆盛を極めた神社で三代将軍家光が社殿を造営しその後も将軍家による修繕が幾度となく行われている。もちろん庶民の参詣も多く賑わった神社であった。

王子稲荷の坂を上りきると先ほどの地蔵坂に合流するがここでも寄り道するために また下って行く。  


坂を下って左に曲がると すぐに名主の滝公園入り口の薬医門前。王子村の名主が嘉永年間(1848〜54)に自邸に開いた庭園で、滝あり、渓谷ありと深山幽谷の雰囲気漂う庭園だ。

名主の滝は王子七滝の一つ。散策路を上って行くと小さな滝が幾つか見られ最後に見えたのは落差8mの「男滝」(左)。コメント:王子七滝で現在残っているのは名主の滝のみ。

男滝の前の入り口を出て左に曲がると「三平坂」(右)。この坂を上りきると御成道に合流するが、結構きつい上り坂。

駒込から王子にかけても江戸時代が結構多く残っており さすが江戸だなと思った王子界隈であった。

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