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下妻街道 道中記


下妻街道は中川の自然堤防の上に築かれた古道で平安時代
末頃には奥州への主要道路であった。
前九年の役(1051~62)と後三年の役(1083~87)の際、
奥州に向かった源頼義・義家父子の軍勢がこの道を通ったと
されている。
江戸時代に入ると日光道中と水戸道中の中間を北上して
下妻方面に通じていたことから「下妻道」と呼ばれるように
なり日光道中の脇往還として多いに利用されていた。

千住宿で日光道中と分かれた下妻街道は綾瀬川、さらに
中川沿いを北上し、吉川、野田、水海道、下妻、下館、益子
を経由して喜連川で奥州街道に合流する約150kmの道程
である。


(1)千住宿から八潮市八条まで

(2)八条から野田市山崎まで

(3)山崎から小山の渡しまで

(4)小山の渡し跡から水海道まで

(5)水海道から石下まで

(6)石下から騰波ノ江まで

(7)騰波ノ江から下館まで