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湯川橋から湯ヶ島入口まで             街道地図
修禅寺から戻り再び下田街道の旅となるが、その出発点は湯川橋(下左)。国道に合流するまでの2kmほどは
車が少なく街道際には秋葉常夜灯や賽の神などが鎮座する静かな道。往時を多少なりとも味わうことができる。
国道に合流すると車の往来が多くなるが 結構見どころが多く景色も良いので飽きることが無い。

 平成26年7月12日

「湯川橋」(左)を渡ると下田街道の主人公は 源頼朝 から 伊豆の踊り子 に。

川端康成の「伊豆の踊子」に次のような場面がある。
私はそれまでにこの踊り子たちを二度見ているのだった。
最初はわたしが湯ヶ島に来る途中修善寺へいく彼女たちと湯川橋の近くで出会った。
その時は若い女が三人だったが踊り子は太鼓を提げていた。


この先は川端康成も歩いた旧下田街道を湯ヶ島温泉目指して てくてくと。

しばらくは路傍の常夜灯や石仏・賽の神を探しながらの街道歩きが続くが、若き日の川端康成も石仏などを眺めながら歩いたことだろう。


湯川橋から15~16分、かつては旅籠が何軒かあった「本立野の集落」(左)に入ってきた。今は車の通行も少なく静かな街道だ。

本立野の先の不越ケ坂(こえじがさか)を上り 国道を横断するとその先に土道の旧道が待っていた。横山坂以来の土道かと喜んだら天城北道路に遮られすぐに旧道は消滅。この先しばらくは国道136号を歩くことに。

高橋橋を左に見て数分、街道際に「題目道標」(左)が。文化15年(1818)建立の石塔で側面に「従是四町 妙本寺」と刻まれていることから この辺りに対岸の妙本寺へ渡る道があったのだろう。

道標から10分、街道からちょっと奥まった所に鎮座しているのは「軽野神社」(右)。またの名を笠離明神とも呼んでいる。古代、この前を通る人は神威を恐れ笠をおろして通ったという。この場所は応神天皇五年(275)、伊豆国に造船を科したさいの造船所跡とも云われており、かなり歴史ある神社であることが分かる。

その先の柿木橋を渡ると街道際に「狩野城址遊歩道入口」(左)と記された大きな標柱が。 隣には遊歩道案内図も設置されているのでちょっと遠そうだが行ってみるか。標柱横の階段を上がり案内標識に従って九十九折の「山道」(右)を登ること約20分。結構息が切れる。

狩野城は平安末期から室町時代にかけて伊豆中央部に勢力を張った豪族・狩野氏の居城であった。伊豆市教育委員会の説明板によると狩野派初代狩野正信は豪族・狩野氏の末裔であるという。

20分ほど登った先にある本郭(ほんくるわ)跡の標識に従ってさらに坂道を上るとちょっと荒れた感じの堂宇があり中郭と記された標柱が1本。本郭跡が見つからない。

堂宇の裏に「狩野介茂光公堡塁跡」(左)と刻まれた石碑が一本。この辺りが本郭跡だろうか。事前の調査不足から本郭跡の場所がはっきりしなかったのが残念。
城址から下る途中、山道から眺めた狩野川の景色が素晴らしい。この景色が見られただけでも登った甲斐があった。

街道に戻り10分ほど歩いてJA狩野支店手前を右に上がっていくと青埴(あおはに)神社に行かれるが、参道際の「イロハカエデ」(左)が見事な樹形を見せてくれる。県指定天然記念物の 枝垂れ楓 は樹高が4.5mほど、ところが枝垂れの高さが8m近い。秋の紅葉は見事だろう。

さらに10分ほど歩き交番の先を左入る道が旧道。その入口に鎮座する子安神社境内の石塔は安政3年(1856)建立の「唯念名号塔」(右)や秋葉常夜灯、青面金剛、庚申塔など。

旧道を5分ほど歩くと再び国道に合流。その先の出口交差点で船原峠を通って西伊豆に向かう国道136号を右に分け、下田街道(国道414号)は真っ直ぐ。
かなり山深くまで入ってきた感じだが途中の道路標識に「下田42km」(左)とある。下田街道の終着はまだまだ先だ。

月ヶ瀬集落の手前でなんとも素朴な丸石の「道祖神」(右)を発見。旧下田街道はその先の信号で左の伊豆慶友病院方向へ下っていく。

旧道は5~6分で国道に合流してしまうが その先で再び旧道に入り7~8分歩くとまたまた国道に合流。

小戸橋を渡ったら左の旧道へと入っていく。数分歩くと文化11年(1814)建立の「秋葉常夜灯」(左)と小さな祠が並んでいるが この常夜灯の細身で端正な姿が気に入った。

その先の右に曲がった所に「三界萬霊塔」(右)があるのだが、なんと、文字が刻まれた面がアジサイに覆われ全く見えないのだ。何とかして~。その先、吉名入口交差点際にひっそりと立っているのは地蔵尊

狩野川に架かる嵯峨沢橋を渡ったら明徳寺に寄り道を。
どこにでもある曹洞宗の禅寺と思いきや、東司(トイレ)の神様が祀られているのだ。本堂右手の「うすさま明王堂」(左)に祀られているのは東司の守護神「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」

街道に戻り数分先を右に入る道が旧下田街道であるが またまた寄り道を。ちょっと先の市山神社に向かったのだが 参道入り口に「賽の神」(右)が鎮座していました。市山神社は長~い階段の上。歩き疲れた足にはちょっと厳しそう パスしよ。

ちょっと戻って市山集落の中を通る道が旧下田街道だが、田地の中に石塔群や賽の神などがあり風情ある田舎道が楽しめる。
国道に合流したすぐ先の「簀子(すのこ)橋」(右)を渡ると人馬継立が行われていた湯ヶ島村(湯ヶ島温泉)
川端康成が「伊豆の踊子」を執筆した湯本館や、井上靖の「しろばんば」の里など楽しみな街道歩きができそうだ。

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