文政2年(1819)に豆州・梨本村の名主であった板垣仙蔵が私財を投じて開通させた天城越えのルートで、
頂上に二本の杉の大木があることから二本杉峠と呼ばれている。明治37年(1904)に旧天城トンネルが
完成するまでは三島と下田を結ぶ天城峠越えの幹線道路で、この道を多くの重要人物が往来。
老中松平定信、タウンゼントハリス、谷文晁、滝沢馬琴、吉田松陰、唐人お吉などもこの峠を越えている。
下田街道を踏破する為には何としても越えなければならない峠道。だが、頂上に「遊歩道流出のため
この先通行禁止」 の表示が。 無理に歩いてみたが道なき道を歩く場所があるためお勧めるすることは
できない。踊子歩道を歩き通すほうが賢明のようだ。
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