表紙へ戻る


水戸黄門一行 水戸街道   道中記 水戸街道碑

千住宿新宿 松戸宿小金宿我孫子宿取手宿藤代宿若柴宿牛久宿荒川沖宿中村宿土浦宿中貫宿稲吉宿府中宿竹原宿片倉宿小幡宿長岡宿水戸城下

旧中村宿の町並み (11)中村宿なかむらじゅく                       街道地図
中村宿は本陣1軒、旅籠数軒、家並み50軒ほどの小さな宿場であった。近くに中世の幹線道路である
鎌倉街道が通っていたが水戸街道ができたことで鎌倉街道沿いの集落の住人が移り住み宿場を形成。
しかし大きく発展することなく明治を向えて宿場の機能を終了。

 平成23年4月25日

中世、近世、そして近代の街道が交わる交差点日先大神道道標荒川沖宿を出た旧水戸街道はほどなく国道6号に合流。15分ほど歩くと歩道橋のある交差点に差し掛かる。
「歩道橋の上から眺めると」(左) 旧水戸街道が右へ曲がり、国道6号が真っ直ぐ進む。左に入る細い道も見えるが こちらは「いざ鎌倉」の鎌倉街道。ここは中世、近世、そして近代の街道が交わる場所。

旧水戸街道に入ると次の交差点先の右側に「日先大神道」(右)と刻まれた道標が建てられているが、荒川沖宿でも見た日先神社への道。 ちょっと遠いので今回はパス。

この先5〜6分歩き国道6号を横断して中村宿へと入っていく。

石仏群中村宿本陣跡ほどなく水戸街道特有の の字に道が曲がるが その左側は「石仏群」(左)がある広場。かつて観音堂があった場所だが傍らになんとも素朴な石仏が。

曲がった先から旧中村宿の静かな町並みが続くが宿場時代の面影はあまり感じられず表示なども全く見当たらない。
地元の古老に聞いた話では、宿場の終わり近く、東小学校の3軒手前が「中村宿本陣跡」(右)。が、代が変わり住人も代わってしまったため本陣の面影は感じられない。

旧水戸街道は小学校横の坂道を下り国道354号を横断していくのだが、ちょっと寄り道を。

鹿嶋神社杉並木の鹿嶋神社参道国道の少し手前を左に曲がり坂道を上っていくと彼方に鎮守の森が見える。ここは応永2年(1395)創建という「鹿嶋神社」(左)。本殿は享保8年(1723)、拝殿は江戸時代後期という共に江戸時代の建立。

神社に続く「杉並木の参道」(右)が素晴らしい。今は芽吹きの前で木漏れ日が気持ちよいが夏になれば鬱蒼とした杉並木になることだろう。水戸黄門御一行が向こうから歩いてきそうな。

参道を4〜5分歩くとアスファルト道と交差したが、たまたま居合わせた古老に声を掛けると思わぬことを教えてくれたではないか。

鎌倉街道古道薬師堂参道の先の土道は「鎌倉街道」(左)だという。僅か50mほどの古道だが その先が鎌倉街道で冒頭の交差点まで続いている。また参道だと思って歩いた道も途中からは鎌倉街道古道であった。
この道は途中で消滅しているが花室川を渡って大聖寺裏辺りへと続いていたそうだ。

鎌倉街道古道から車道に出て雑木林の中を振り返ると萱葺きの「薬師堂」(右)が見える。かなり荒れ果てた建物だが堂内に祀られているのは薬師仏や多数の仏像。

街道に戻り国道354号を横断。花室川に架かる大川橋を渡り数分先の路地を入った奥は長徳元年(995)開山という古刹大聖寺(だいしょうじ)

大聖寺山門大聖寺カサマツ参道の先に見える萱葺きの門は「大聖寺山門」(左)で、貞亨2年(1685)に土浦城主松平信興から寄進されたもの。 その奥の四脚門も萱葺き屋根で共に市指定の文化財。

四脚門を入った右側に土浦市指定の銘木で「大聖寺カサマツ」(右)と命名された松があるが傘というよりUFO。

境内には四国八十八箇所ミニ霊場巡りが用意されている。1時間ほどで一巡できるので時間に余裕があれば霊場巡りもよさそう。

再び街道に戻り坂を上った先の国道6号を越えると ほどなく国道354号に合流。暫くは国道を歩くことに。

馬頭観音と道標地蔵堂国道を十数分、コンビニの駐車場脇に「馬頭観音と道標」(左)が建てられているが ここは布施街道との追分。 この街道は矢田部、守屋を通って再び柏の根戸十字路で水戸街道に合流する脇往還。いつか歩きたい街道だ。

馬頭観音は天保15年(1844)に建てられたもので道標も兼ねており、側面に刻まれた行き先は「水海道 布施 関宿 流山道」。下にある石も道標で刻まれた行き先は「右やたべ おばり ・・・・」。

馬頭観音から一つ先の路地を入った突き当たりは「地蔵堂」(右)。 土浦市指定文化財の木造地蔵菩薩3体が収められているのだが堅く閉ざされた扉の中なので見ることはできない。

この先500mほど歩くと国道は左に曲がっていくが旧水戸街道は真っ直ぐ進み霞ヶ浦医療センターの前を通って坂を下っていく。

下高津の道標愛宕神社下る途中の道標は 「下高津の道標」(左) と呼ばれており水戸街道と坂東街道との分岐点に設置された道標で、享保18年(1733)に東崎町女人講の人々によって建立されたもの。

街道は道標の前から左に曲がりながら下っていくがその途中に鳥居があり、鳥居の先は上り階段。
階段を上ると鎮座しているのは文化8年(1811)に再建された「愛宕神社」(右)。平貞盛が東国平定を祈願して創建したとされており江戸時代には土浦城主・土屋氏の庇護を受けたという由緒ある神社だ。

常福寺銭亀橋神社裏の寺院は平安時代初期に最澄の弟子である天台僧最仙の開基と伝えられる「常福寺」(左)。本尊は平安末期頃の作と伝えられる重文の木製薬師如来坐像だが見学できないのが残念。

街道に戻り次の交差点を渡ると「銭亀橋」(右)の袂に到着。この橋がはじめて架橋されたのは慶長18年(1613)、以来何度か架け替えられているが木製の太鼓橋はなかなか美しかったそうだ。
銭亀橋を渡るといよいよ土浦城の城下町へと入っていく。

前の宿場荒川沖宿へ    次の宿場土浦宿へ     表紙へ戻る