(18)小幡宿おばたじゅく |
小幡宿は水戸藩領の宿駅であったが本陣・脇本陣は無く、宿の入口にある円法寺が本陣を兼ねた水戸藩の定宿。
その他に問屋場1軒という小さな小さな宿場であった。
|
街道地図 |
片倉宿を出てかれこれ1時間、山中薬師本堂から街道に戻ると その先からは小美玉市から「茨城町」(左)に変わる。
緩い坂道を上り ひなびた街道を汗かきながら歩いていると早くも「秋の景色」(右)が。そういえば1週間先は立秋だ。前回歩いた時は栗の花が満開だったのに季節の移ろいは早い。 |
緩い坂道を上り10分ほど歩いた先の左手竹林奥に鎮座するのは「愛宕神社」(左)。神社縁起によると御神体は鎌倉時代末期の作とうかがわれる愛宕権現 すなわち勝軍地蔵尊。神社に地蔵尊、まさに神仏習合。
階段の下に「芭蕉句碑」(右)がありました。
蝶の飛ぶば可利 野中の 日陰加那 芭蕉 |
街道に戻ると次ぎの交差点を過ぎたあたりから小幡宿。交差点を渡ってすぐの「法円寺」(左)は葵のご紋が許された数少ない寺院。山門の瓦には葵の紋が。
本陣の無かった小幡宿では円法寺が水戸藩の定宿となっており本陣の役目を果たしていた。
すっと通り過ぎてしまいそうな小幡宿であるが「なまこ壁土蔵」(右)が何棟か見られる。 |
見所の少なかった小幡宿だが宿場の終わりにある三叉路を右に曲がると小幡城跡に行かれるので、ちょっと遠いが寄り道を。
東関東自動車道の先に見えるこんもりとした森がかつて「小幡城」(左)があった場所。室町時代あるいは鎌倉時代に築かれたとされる小幡城は天正18年(1590)に落城。その後は城が築かれていない。
鬱蒼とした森の中を、まるで迷路のような「堀底道」(右)を通って本丸に行くのだが、この空掘りが400年以上前に作られたとはとても思えないほどしっかりと当時のまま残っている。 堀底道:空堀の堀底が通路として使われていた。 |
迷路のような堀底道を通って到着した「本丸跡」(左)は周囲を土塁で囲まれひっそりとしている。一町(約110m)四方ほどのこの場所は建物こそ無いが落城当時のまま。山城マニアにはたまらない城跡だろう。
小幡城跡には井戸跡が2ヶ所確認されているが、その内の一つが「本丸井戸跡」(右)。この井戸には悲しい言い伝えが。小幡城落城のとき、お姫様が金の鳥を抱えて井戸に身投げしたのだとか。 |
城址の森を出ると田んぼがあり、その向こうに森があり、その間を一本の細い道と電信柱。 森の入口には鳥居が見える。「日本の原風景」(左)ですかな。
この神社は城の鎮護のために東北の鬼門の方角に作られた「香取神社」(右)。 |
街道の三叉路まで戻り10数分歩くと旧水戸街道は国道6号に合流。
国道を4〜5分歩るいた先に見えたのは「千貫桜碑」(左)。かつてこの地にあった桜の巨樹を終日眺めていた水戸光圀公が「千貫の価値がある」と言ったそうな。
隣の白い石碑は光圀公の歌碑で、
春風も心して吹け 散るは優し 咲かぬはつらし花の木のもと
さらに十数分歩くと国指定史蹟の「小幡北山埴輪製作遺跡」(右)なる公園がある。かつて(6〜7世紀ごろ)、五十九基もの登り窯で人物や馬の埴輪を焼いていた跡なのだとか。 |
|