(7)藤代宿ふじしろじゅく |
藤代宿は他の宿場より少し遅れた天和年間から貞亨年間(1681〜1688)にかけて指定されている。
JR藤代駅を挟んで西の藤代村と東の宮和田村に宿場があり二宿で一つの宿場を形成していた。
それぞれに本陣があったということだが 宮和田村の本陣については記録が見つからないため存在が
はっきりしない。今の藤代町の町並みに宿場時代の面影はあまり感じられない |
街道地図 |
取手宿を出た後は田んぼの中の真っ直ぐな道を北上。ほどなく道路際に「旧陸前浜街道」(左)と記された標柱が。明治5年(1872)、水戸街道と岩城街道を合わせて陸前浜街道とする通達が出されたが明治18年(1885)に国道6号と名称変更が行われたため今は旧陸前浜街道と呼ばれている。
標柱からかれこれ40分ほど歩いただろうか。JR常磐線の踏切りに差し掛かったが ここにも「旧陸前浜街道踏切」(右)と表示。この先の国道6号を横断すると藤代宿が近い。
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まもなく街道は直角に右へ曲がっていくが その左側は相馬神社。正面から見るとごく普通の神社だが裏に廻ると慶応3年(1867)に再建された「本殿の彫刻」(左)が見事。総ケヤキ造りで全体が彫刻で飾られているが向拝柱にも見事な竜の彫刻。
街道に戻ると左側の商店の前にコンクリート製の「防火用水槽」(右)が。戦時中に作られたものだと思うが最近はトンと目にすることがなかったのでなんとも懐かしい。 |
数分先の藤代公民館は藤代宿の本陣が在った場所。昭和30年(1955)に町役場建設のために取り壊されてしまったのが残念。せめてもと玄関前にあった「本陣松」(左)と百日紅を公民館脇に移植。解説板に「唐破風造りの玄関は本陣の威容をとどめていた」とある。ならば玄関だけでも残してくれれば良かったのだがナー。
真っ直ぐな旧宿場町を進むと逆くの字に道が曲がるがその右奥に見えるのは「愛宕神社」(右)。村の鎮守様といったところか。 |
その先には「旧宮和田宿の町並み」(左)が続くが、ここも宿場時代の面影は感じられない。こちらの宿にも本陣があったということだが資料が残されていないため場所も含めて詳細は不明。
10分ほど歩くと道は左に曲がっていくが「旧道はまっすぐ小貝川の堤防へ向かっている」(右)。 |
堤防の手前左奥に「熊野神社」(左)が見えるが東日本大震災で拝殿の屋根瓦が崩れておりブルーシートで保護されているのが痛々しい。この神社の創建は鎌倉時代とも戦国時代とも云われているが詳しくは分からない。奥殿は嘉永四年(1851)の再建で見事な彫刻が施されているということだが覆屋で囲われており全く見えないのが残念。
堤防に上がると目の前は何度も氾濫を繰り返したという小貝川だが今は穏やかな流れ。上流に国道6号の「文巻橋」(右)が見えるので今はこの橋を渡って対岸へ。 |
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