表紙へ戻る


水戸黄門一行銅像 水戸街道   道中記 旧水戸街道碑

千住宿新宿 松戸宿小金宿我孫子宿取手宿藤代宿若柴宿牛久宿荒川沖宿中村宿土浦宿中貫宿稲吉宿府中宿竹原宿片倉宿小幡宿長岡宿水戸城下

(16)竹原宿たけはらじゅく  竹原宿は元和年間(1615〜24)に 水戸街道の付け替え工事が行われたが その際新設された宿場で
本陣・脇本陣は無く小規模の旅籠が十軒前後という小さな宿場であった。現在の町並みに宿場時代の
面影は見られないが静かな町並みの旧竹原宿である。
街道地図

 平成23年6月20日

旧水戸街道不動明王は神輿の中に鎮座不動尊堂石岡一里塚からかれこれ30分、「旧水戸街道」(左)は左の旧道に入り坂を下っていく。

坂を下りきった左奥に「不動尊堂」(右)が見えるが ここには享保14年(1729)の作と伝わる不動明王坐像が納められている。なんと「不動明王は神輿の中に鎮座」(右)しているのだ。まさに神仏習合。

屋敷塀の先に見える長屋門馬頭観音 不動尊堂の先から行里川(なめりがわ)の集落となるが ここにビックリするような門がありました。屋敷塀の先に見える「長屋門」(左)は一軒の家かと思えるほど大きい。ここに限らず水戸街道沿いでは立派な長屋門をよく見かけるが、このお宅の門はずば抜けて大きい。

街道はこの先で先ほど別れた県道を横断して坂道を上り再び下っていくが下る途中に「馬頭観音」(右)が1基。

六地蔵尊道標下った先の左奥に「六地蔵尊」(左)と記された標柱が建てられており「天正年間、大掾・佐竹氏の合戦・戦没者供養碑」とある。詳しいことは分からないが この近くに府中城(大掾氏の居城)の支城である竹原城があったことから佐竹氏との合戦がこの辺りで行われたのではないだろうか。

その先の丁字路向こう側に「道標」(右)が1本。明和7年(1770)の建立ということは分かったが肝心の道標部分が読み取れない。 しかし台座部分が新しく造り直されている。嬉しいことだね〜。

竹原神社問屋場跡街道はこの先から坂道を上って竹原宿に入っていくのだが途中に鎮座してたのは「竹原神社」(右)。ごく普通の神社だがアワアワ祇園のとき繰り出す神輿は総欅造りの立派なもの。ところで「アワアワ」って何だ! 江戸時代、神輿を担いだ男たちが「アワアワ」と口にしながら川の水で身を清めたのだとか。

竹原宿には本陣・脇本陣が無く、問屋場が竹原上郷地区に2軒、竹原新田地区に1軒あった。上郷地区の「いのうえ食品マート」の場所がその内の一軒の「問屋場跡」(右)。

道鏡様元庄屋跡旧水戸街道はこの先で国道6号に合流し左へ曲がっていくのだが ちょっと寄り道したいので国道を横断。

数分歩いた先の竹原小学校前に椿山稲荷神社があるが、その裏の小さなな祠は「道鏡様」(左)。奈良時代、都を追われた道鏡禅師を昔の恩に報いようと竹原の人々がお呼びしたのだそうだ。神格化した道鏡様だが安産の神様として人気がある。奉納されているのはどういう分けか男性のシンボル。

街道に戻り数分歩くと立派な屋敷門が見えるが ここは「元庄屋跡」(右)。

この先は国道6号をテクテクと。次ぎの宿場は片倉宿。

栗の花が満開 頭観世音、地蔵尊、地蔵菩薩 北辰一刀流故大貫先生碑 道路標示 水戸まで21km
栗の花が満開でした。
間近に見るのは初めてです。
馬頭観世音、地蔵尊、地蔵菩薩
が並んでいます。
北辰一刀流故大貫先生・・・とある。
千葉周作とどんな関係があったのだろうか。
水戸まで21km。水戸の城下がついに
射程内に入ってきた。

山の中の散策路、そんな雰囲気の歩道 慈母観音像 慈母観音像 片倉宿が近い
山の中の散策路、そんな雰囲気だが、
すぐ右側は国道6号。
ドライブインの駐車場脇に慈母観音像が。
大正3年(1914)とある。
少し歩いた先にもう一体。.
桜並木が見えたら片倉宿が近い。
現在は「堅倉」と表記されている。

前の宿場府中宿へ    次の宿場片倉宿へ    表紙へ戻る