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***第3宿二本木宿***
千人同心が日光勤番の際の宿継場として栄えた二本木宿は青梅から川越に至る新河岸街道が合流する交通の要衝。
道幅4間余、戸数170余という賑わった宿場であった。その昔、榎の大木が2本あったことから二本榎と呼ばれていたが、
いつ頃からか 二本木 と呼ばれるようになった。 |
街道地図 |
元狭山神社から約10分、東京都を出て「埼玉県入間市」(左)に入ってきた。この先突き当りの二本木長田交差点(丁字路)を右に曲がると二本木宿。
右ではなく左に曲がると目の前に「二本木上宿の道標」(右)が。
自然石に「左 大山 八王子 右 青梅」 と刻まれた道標は延享元年(1744)、上宿の人々が交通安全を願って日光脇往還(千人同心街道)と新河岸街道との分岐点に建てたもの。 |
振り返って二本木宿に入って行くのだが、賑わっていたという「二本木上宿辺り」(左)は人通りも無く静かな町に変わってしまった。5~6分歩いた先の交差点信号に「二本木神社入口」と表示されている。誘われるように左に曲がり「二本木神社」(右)へ。万治2年(1659)に菅原道真公を勧請し後に素戔嗚尊を祀ったという神社。
神社参道の脇を通る坂道は「オッパイ坂」。というのは冗談でしてオッパケの坂という。 川に浸食された崖をハケと呼ぶがハケを切り開いて出来た坂道なのでオッパケの坂だそうな。 |
交差点まで戻ったら横断して寿昌寺へ。墓地入口で墓参人に睨みを効かせているのは「石像閻魔大王」(左)。享保15年(1730)に二本木村、大森村の念仏衆によって建立されたもので廃寺となった浄珍寺にあったもの。
本堂左側の「観音堂」(右)は文政5年(1822)に狭山に建立され、その後入間に薬師堂として移築されたが昭和58年(1983)、現在地に再建。堂内の聖観音像は室町時代の作だとか。 |
街道に戻り次に向かった先は長福寺。 境内左手、ケヤキの大木の下にあまり見かけることがない「北向き地蔵」(左)が鎮座。北向き地蔵さんには一願本尊のご利益があるそうだ。一つだけお願いしてみるか。
北向き地蔵の向うに見えたのは「百体地蔵」(右)。 明治30年(1897)、二本木や福生などの人々が奉納した地蔵で 沢山あるから百体ではなくキッチリの百体。見応えあるね~ |
街道に戻り数分、柵の中に木製の常夜灯が。居合わせた方に聞くと「秋葉常夜灯」(左)だという。江戸時代からずーっと、夕方になると近所の人がロウソクを灯し続けているそうだ。
街道はこの先数分歩いて国道16号に合流寸前、左に曲がっていく。
左に曲がってさらに4~5分、入間市博物館に続く「茶花の小径」(右)がなかなか味わいがある。時間が許せば博物館見学や併設のレストラン「茶屋町一煎」での昼食もよさそう。
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旧道はこの先で武蔵工業団地の中に消えていく。工業団地の外郭を廻って旧道に復帰し、その先30分ほど歩くと扇町屋宿。 |
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