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千人同心街道  道中記

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***第6宿高萩宿***
天正年間(1573~92)に成立したとされる高萩宿は 二と七 の付く日に市が開かれていたことや、
千人同心の人馬継立場となったことなどで賑わった宿場であった。
清水次郎長が生涯「親分」と呼び続けた次郎長の兄貴分・高萩万次郎は高萩の出身。
街道地図

平成27年2月2日

根岸宿を出てかれこれ20分、トラックがうなりをあげて通る国道407号の田木交差点手前から旧道に入ると これまでとは一変して「長閑な田舎道」(左)。

この先は高速道路が出来たため旧道の道筋がハッキリしないが高速道路下のトンネルを通り抜けて4~5分、道路際に「子安地蔵堂」(右)があったのでこの辺りが旧道なのだろう。
中を覗くと座姿のお地蔵様が。左右に架けられた千羽鶴が見事。

街道は子安地蔵の先で国道に合流して坂道を上っていく。

しばらく歩くと交差点の信号に鎌倉街道と記されている。直交する道は鎌倉街道上道で、この交差点を左に進むと建武2年(1385)、北条時行軍と足利直義軍の激戦が行われた女影原古戦場跡。

鎌倉街道交差点を越えると日光街道の杉並木には遠く及ばないが「杉並木の道」(左)が700mほど続く。

十数分ほど歩いたら左の道に入り「谷雲寺」(右)の墓地脇を下って行く。谷雲寺には高萩万次郎の墓があるということで探してみたのだが、残念、見つからなかった。

高萩交差点まで出たら左へ曲がると高萩宿が近い。

JR川越線のガードを潜ると ちょっと傾いた常夜灯が見えるが、ここは「旅籠鶴屋跡」(左)。鶴屋は清水次郎長を呼び捨てにしていたという高萩万次郎の家でもある。高萩万次郎が建てたと云われる金毘羅大権現の石碑があるのだが割れて倒れているのが残念。道路を挟んだ対面には旅籠亀屋があったのだが今は全く痕跡が無い。

すぐ先の大正浪漫を感じる建物は「旧日高郵便局」(右)。すっかり現代的になってしまった旧高萩宿で唯一昔を思わせる建物だ。

郵便局先の屋敷塀の前に「中宿」(左)と記されたバス停が。かつて宿場であった証しがこんな所に残っていました。

千人同心街道は飛行場の建設によって消滅してしまった場所が2か所もあったが、この先にも旧陸軍の高萩飛行場が作られている。しかし ここはなんとか街道には手を付けていなかったようだ。

ほどなく「日光街道杉並木」(右)に入るが、杉だけではなく、松、桧、などの混植であるため日光杉並木ほどの迫力は無い。車道の片側に遊歩道があるので歩きには大いに助かる。

杉並木道に入ってかれこれ20分、遊歩道際に建てられていたのは立派な「日光街道杉並木碑」(左)。
この道路は小田原北条氏によって八王子城から鉢形城への軍用道路として作られたが、その後、千人同心の日光勤番に利用されたことから日光街道と呼ばれるようになった。

街道はいつの間にか日高市から鶴ヶ島市に入ったようで、高倉天神交差点の街道際に建てられた「榜示杙跡説明板」(右)は鶴ヶ島市教育委員会が建てたもの。

説明板には榜示杙が2本あったと記されているが国道と別れた旧道に「もう一カ所の榜示杙(ぼうじくい)跡」(左)があました。こちらには説明版と共に榜示杙も。

榜示杙跡対面の脇道に入った奥の広場は「川崎平右衛門定孝陣屋跡」(右)。徳川吉宗の新田開発令によって世話役に登用された平右衛門定孝は五百町歩の新田開発に成功。代官に任せられたという。広場の奥に覆屋に収められた石祠があるがこれは農民たちが平右衛門の徳を追慕して寛政10年(1798)に建立したもの。

街道に戻り5~6分、交差点手前の覆堂の中の石仏は「庚申塔と馬頭観音」(左)。青面金剛の彫られた庚申塔は220年ほど前に建てられたもので馬頭観音は200年ほど前の建立。

その先、千人同心街道と川越道が交わる交差点の向う側に「道標」(右)が1本。
道標には4面に行き先が刻まれており この交差点の重要度がうかがわれる。その4面には「北 日光・さかと 道」「東 江戸・川ごえ 道」「南 八王子・たかはぎ 道」「西 慈光・をこせ 道」と。

交差点を過ぎて5~6分、参道の奥に見えるのは奈良時代に武蔵国開拓のために移住してきた高句麗人が崇敬した「白髭神社」(左)。社殿の後ろには樹齢900有余年、樹高36mという欅の御神木がそびえていたというが今は残念ながら途中で折れている。
 
街道からちょっと奥に入った善能寺は慶長元年(1596)、法印栄慶が中興開山したと伝えられている。 たびたび火災に見舞われているが現在の「本堂」(右)は天保14年(1843)の建立。

境内左手の「薬師堂」(左)は享保年間(1716~35)の建造で薬師瑠璃光如来を安置。軒下に提げられた鰐口には慶安3年(1650)の銘があり市内最古の鰐口だという。

善能寺から街道に戻って5~6分、十字路際の祠の中は「針売庚申塔」(右)。この庚申塔には元禄6年(1693)の銘があることから300年以上も前の建立。

街道はこの先、関越道の下を通り東武線坂戸駅の横を通って坂戸宿へ入って行く。

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