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矢倉沢往還  道中記

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矢倉沢往還
K平安・鎌倉時代の道
                  街道地図
矢倉沢往還の道筋は時代とともに変わっているが、ここもその一つ。小田急・渋沢駅近くの
稲荷神社前交差点から左に曲がる道が平安・鎌倉時代の矢倉沢往還でアップダウンの激しい
山越えの後、酒匂川に下るコース。ここはハイキングコースとして整備されているので要所に
案内板があり景色も良く楽しく歩くことができる。

 平成25年12月9日

曽屋宿を出て約1時間、渋沢駅近くの「稲荷神社前交差点」(左)まで来たら 平安・鎌倉時代の道を歩くために左折を。
矢倉沢往還と交差するこの道は渋沢峠を経て松田に抜け小田原に至る小田原道。

ちょっとキツイ坂を上ったら次は下り坂。その先から再び上りとなり山の中に消えていく。これが絵になるんだな〜。思わず1枚。バス停に「堂坂」(右)と書かれている。

堂坂の途中から左に曲がり急坂を下りると見えたのは朱鮮やかな鳥居。階段を上がると建保6年(1218)に鎌倉鶴岡八幡宮の若宮を勧請して創建したという「渋澤神社」(左)。

街道に戻りもう少し坂道を上ると「頭高山入口」(右)と表示されたハイキングコースの案内板があるが矢倉沢往還はこの表示に従って左の細い道に入っていく。

のっけから急坂が続いたが今は気持ちの良い「木漏れ日の道」(左)。
この先で右へ曲る細い道があるがハイキングコース表示に頭高山入口とあるので表示に従って右へ。
(この道は地図には無い)

林の中の道を抜けると視界が開けるがこの辺りが「渋沢峠」(右)。この下に県道708号の渋沢隧道が通っている。

ほどなく「Y字路」(左)となるが ここの案内表示に三嶋神社の方向が示されている。このため左に下りたくなるが ここも頭高山表示のある右へ曲っていく。

Y字路を右へ入って4〜5分、今度は「丁字路」(右)に右へ下る頭高山表示があるが ここは真っ直ぐ篠窪と書れた方向に進む。案内板には行止まりと書かれているが三嶋神社への道はあるので心配ない。

緩い坂道を下っていると道際に「弘法のすずり水」(左)という水場(今は水が無い)がある。村里を訪れた弘法大師がここの水を使って墨を擦り経を書いたのだとか。

やがて道は牧場入口まで来るが その先は消滅。ではなく「右へ下る細い道」(右)があるのでここを下っていく。
(地図には無い)

くねくねと曲った坂道を下っていくと渋沢神社の先で別れた県道708号に合流して篠窪の集落へ。

県道が左へカーブする直前の右崖下に可愛らしい「夫婦道祖神」(左)が。反対側のガードレール下は「水神碑」(右)。

矢倉沢往還は其の先で左に曲がらず真っ直ぐ進み山道へ入っていくのだが ちょっと寄り道を。

篠窪の集落へ入った右側で見たのは「座り地蔵」(左)。奥州街道を歩いたときはよく見かけたがこの辺りでは珍しい。

その先の「地福寺」(右)は正平2年/貞和3年(1347)に鎌倉武士の二階堂氏が創建したと伝わっている。
山門が冠木門であったり狛犬が寺を守っているという、ちょっと変わった寺だ。

夫婦道祖神まで戻り山道へ入って5〜6分歩くと再び県道に合流。そのすぐ先は「三嶋神社」(左)。
由緒がないので詳しくは分からないが大井町上大井にある源頼朝ゆかりの三嶋神社と関連があるのではないだろうか。

鳥居の横に街道に覆い被さるような「椎の巨木」(右)があるが、なんと、樹齢が五百年(県の説明板)とも八百年(大井町の説明板)とも云われている。八百年前といえば鎌倉時代。木は長生きだね〜

旧道は其の先で案内板に従って右に曲り坂道を上っていく。上り切った所に「ハイキングコースの案内板」(左)が建てられているが其の中に富士見塚0.1kmとある。右に曲り坂を上っていくとすぐに「富士見塚」(右)。塚内に建てられているのは富士山大神碑。

傍らの解説板によると鎌倉幕府を開いた源頼朝は武士の士気を盛んにするため巻狩りを催していたが この矢倉沢街道の榎に馬をとどめて富士のすばらしい眺めを観賞したという。

その源頼朝が馬を繋いだという榎が近くにある。標柱には「伝 源頼朝駒留の榎」(左)と記されているがこの榎は2代目、あるいは3代目だろう。

富士見塚のちょっと上にある「見晴休憩所からの眺望」(右)が素晴らしい。天気が良ければ富士山が目の前に。

眼下に広がる町並みは足柄平野、その真ん中を一直線に走る白い線は酒匂川。その向こうの山並みは箱根連山。海側に目を転ずると伊豆半島も見える。目を凝らすと小田原城も見えるではないか。

旧街道は富士見塚と駒留榎の間の狭い道を下っていき車道に合流。

車道を下ってくると「神山神社0.4km」の表示が出ているがここが「旧道の入口」(左)。居合わせた農家の方が「そうだよ、こっちが矢倉沢往還だ。昔っからの道だよ。神山神社も近いよ」。

「ミカン畑の脇を行く旧道」(右)はその先で林の中を通るが いかにも旧道という雰囲気がいいね。

住宅地の間の細い道を下ってくると左手階段の上に見えるのは「阿弥陀堂」(左)。由緒などは不明だが、ここで毎年5月に行われる百万遍念仏講は300年の歴史があるという。格子戸から中を覗くと、マニアが彫ったものだろうか、阿弥陀仏と共に円空彫りの仏像が沢山並んでいる。

道路反対側は「神山(こうやま)神社」(右)だが ここも由緒が不明。広い境内一面にイチョウの落ち葉が敷き詰められ、さながら黄色い絨毯を敷いたよう。

神山神社を出て数分歩くと県道710号に合流するが、ここは渋沢の稲荷神社前交差点で別れた「本道(江戸・明治期の矢倉沢往還)との合流点」(左)。ここを左に曲がっていく。

左に曲ってさらに数分、「神山交差点」(右)を右に曲る道が江戸時代後半から明治にかけての矢倉沢往還本道だが初期には交差点を真っ直ぐ進む道が使われていた。

今回の旅では初期の道をたどることにする。

交差点を渡ると「往時の雰囲気残る板塀」(左)が出現。味のある道だと思ったが其の先はどこにもあるような住宅地。

山王社を見たり水神や石仏群を見ながらかれこれ30分。正面に酒匂川の堤防が見えてきた。
堤防を上ると かつて「渡し場があった付近」(右)。

対岸の大長寺辺りまで通じていたようだが今は渡しも橋も無いので戻るしかないようだ。

元来た道を戻るのは能が無い。堤防上を上流へ数分歩くと「三角土手の松」(左)と呼ばれる大樹がそびえ その根元に鎮座するのは三角土手の六地蔵

川音川と酒匂川が合流するこの地点は何度も堤防が決壊していたため享保19年(1734)三角形をしたより強固な堤防が築かれたがそこに植えられた松なので三角土手の松。

川音川沿いに上流へ歩き神山交差点まで戻ったら小田急線の踏み切りを越え「籠場橋」(右)を渡ると松田惣領宿が近い。

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