表紙へ戻る


旅人 矢倉沢往還  道中記 矢倉沢

赤坂御門から三軒茶屋三軒茶屋から二子の渡し(江戸初期の道)三軒茶屋から二子の渡し(文化・文政の道二子溝口宿荏田宿長津田宿下鶴間宿国分宿
            ⇒厚木宿宿愛甲糟屋宿大山阿夫利神社善波峠曽谷宿平安時代の道千村宿松田惣領宿 関本宿矢倉沢宿竹之下宿御殿場裾野から沼津

H宿愛甲
しゅくあいこう
茶店の他に小さな旅籠やまんじゅう屋、紺屋などの店が並ぶ小規模な宿場であった。街道沿いに
庚申塔道標などが残されているが往時の面影はあまりない。
ここは【愛甲宿】ではなく【宿愛甲】と呼ばれている。 何故、宿愛甲なのか。地元の人に聞いても
「分からんなー、考えたこともなかったよ」との返事。
街道地図

 平成25年9月26日

鄙びた街道風景が続く石塔厚木宿を出るとその先は「鄙びた街道風景が続く」(左)。バスも通り特に田舎の風景という訳ではないが なんとなくのんびりとした風景が続く。

長徳寺、法徳寺に寄り道しながら歩くとほどなく丁字路。ここに「石塔」(右)が3基。右の白い石塔は道標だそうだが文字は全く読めない。街道はこの丁字路を右に曲っていく。

酒井薬師堂酒井の道標右へ曲って数分、ちょっと寄り道と向った先は「酒井薬師堂」(左)。本尊は南北朝時代(1336〜92)の作とされる薬師如来だが普段は秘仏として厨子に納められているため拝観することはできない。12年に一度の寅年ご開帳では近郷近在の信者が多数参詣に集まるが このときは400年以上続く双盤念仏が興行される。

薬師堂の前に「酒井の道標」(右)が移設されている。元々は先ほど通った石塔の辺りにあったもの。四面に東西南北の文字が刻まれているが下の文字が判読できないくらい風化が進んでいるのが残念。

法雲寺山門家の墓所薬師堂先の「法雲寺」(左)は戦国時代に北條氏の重臣であり、その後徳川家に召しだされこの地を領地としていた山門家が再興し開基した寺院で山門家の菩提寺となっていた。

しかし徳川家が大政奉還し駿府へ移ると山門家も墓所を残したままこの地を去っている。その「山門家の墓所」(右)は本堂南側。中央に4基の宝篋印塔を配したもので左右に並んでいるのは歴代の墓石。

街道に戻り、県道、国道を横断して玉川に架かる新宿(しんしゅく)橋を渡ると真っ直ぐな街道の所々に石仏が。
双体道祖神 五輪塔 石仏 地蔵様
新宿橋を渡った所にあった双体道祖神。
昼間から抱き合っているとは大胆だね〜
五輪塔が集められている。 赤い涎掛けをした石仏。 頭に石を載せられたお地蔵様。
なんだか可哀そう。

大山道碑庚申塔道標街道は厚木小田原道路の下を通り5〜6分歩くと上り坂。上り切ったところに建てられているのは「大山道碑」(左)。側面には 旧矢倉沢往還 と。

その先の玉川橋を渡った三叉路向こうに「庚申塔道標」(右)や五輪塔などの石塔が並んでいるが、この庚申塔の側面に刻まれているのは「右あつぎ江戸青山道 左大山道」。

円光寺愛甲三郎季隆供養塔この三叉路を左に曲がり緩い坂を下ると宿愛甲。数分先の右奥、高台に見えるのは「円光寺」(左)。平安時代末期の武将・愛甲三郎季隆の居館跡とも伝わるが前住職は織田信長の子孫だと自称する織田無道氏。門の上には三つ葉葵の紋章が。

本堂の左手奥にひっそりと立つのは「愛甲三郎季隆供養塔」(右)。弓の名手であった季隆は源頼朝の忠臣として活躍。元久元年(1204)、二俣川(横浜)の合戦で畠山重忠を討ち取った話が有名。

富塚豆腐店庚申塔道標街道沿いに豆腐桶をもった人形が。ここは慶応元年(1865)創業という「富塚豆腐店」(左)。小さな宿場町で150年間のれんを守ってきた豆腐店の人気商品は【はとうふ】。バレンタインデーによく売れるそうだ。

豆腐店のすぐ先、交差点際に笠付きの「庚申塔道標」(右)が1基。風化が激しく文字が読み取りにくいが「右 大山道」と読める。

宿愛甲交差点愛甲石田駅前宿愛甲の道路標識その交差点名は「宿愛甲」(左)。愛甲宿ではなく宿愛甲とは?さっそく近くの商店で聞いてみたが「分からない」という回答。中には「考えたこともなかったよ」と言う人も。

街道は交差点を右に曲がり50mほど先を左に曲がって緩い坂道を上っていくのだが宿場時代の面影はほとんど無い。「愛甲石田駅前」(右)まで来ると大きな石灯籠があったが宿場時代とは関係なさそう。

踏切り標識浄心寺山門愛甲石田駅の先で踏切りを渡るのだが そこに設置された「踏切り標識」(左)が なんと汽車。小田急線に汽車とは想定外。調べたところ この標識は207-Aというタイプで1950年に制定。ちなみに電車タイプは207-Bで法律上ではどちらを使ってもよいそうだ。

踏切りを渡り国道に合流して5〜6分。右奥の「浄心寺山門」(右)が趣きある萱葺き。いいですね〜。浄心寺は天正2年(1574)、相誉上人周貞の開山。本尊は南北朝時代作の阿弥陀如来三尊像。

国道246号と重なった矢倉沢往還だが石田交差点で国道と分かれ左の道に下っていく。

小金塚古墳小金塚古墳の航空写真小田急線に再接近したら小さな踏切りを渡ってちょっと寄り道を。

しばらく歩くと住宅地の向こうにこんもりとした森が見えるが ここは古墳時代前期(4世紀末ごろ)に造られた「小金塚古墳」(左)。古墳の上に小金神社が建てられているためちょっと分かりにくい。

すぐそばの宮ノ越公園に設置された古墳説明板によると朝顔形と呼ばれる埴輪が多数出土。説明板の「航空写真」(右)を見ると円墳であることがよくわかる。


街道に戻るには古墳前の細い道を右に進み階段を下って小田急線の踏切りを渡るのが近道。


猛暑の続いたこの夏ですが自然界は着実に秋ですね。栗やザクロ、ススキやコスモスと秋を満喫です。
栗ザクロススキコスモス

前の宿場厚木宿へ    次ぎの宿場糟屋宿へ    表紙へ戻る