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旅人 矢倉沢往還  道中記 矢倉沢

赤坂御門から三軒茶屋三軒茶屋から二子の渡し(江戸初期の道)三軒茶屋から二子の渡し(文化・文政の道二子溝口宿荏田宿長津田宿下鶴間宿国分宿
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A三軒茶屋
から文化・文政以降の道
赤坂御門前から出発した矢倉沢往還は大山講の旅人が増加した江戸中期(文化・文政のころ)に、
三軒茶屋から二子の渡しに向って新道が開かれた。 用賀で一旦昔からの本道に合流するが、
その先で再び分かれて二子の渡しへ向うルートで新町・行善寺線と呼ばれている。
ちなみに矢倉沢往還・本道を上町・慈眼寺線と呼んでいた。
街道地図

 平成25年6月27日

追分道標国道246と首都高に占領された新道大山詣での旅人は三軒茶屋の「追分道標」(左)で右へ行くか左へ行くかの選択を迫られたのっだった。右は律令時代からの本道。左は江戸中期に開かれた新道で新道の方が僅かに短い。

前回の旅では 上町・慈眼寺線 と呼ばれた本道を歩いたが新道である新町・行善寺線も歩かねばなるまい。

さっそく左側の新道に入るのだが首都圏の大動脈「国道246と首都高に占領」(右)され、街道時代の面影は微塵も無い。

伊勢丸稲荷大明神お地蔵様5分ほど歩くと街道は中里通りと呼ばれる旧道に入っていく。いつものことだが旧道に入ると車が少なくホットする。

数分歩くと、駐輪場の奥に小さな小さな「伊勢丸稲荷大明神」(左)が。 説明碑によると徳川幕府の始め頃からあったようだが幾多の変遷を経てやっとこの地が安住の場所となったようだ。

静かな旧道も10分ほどで再び国道に合流。その少し手前に「お地蔵様」(右)が小さな祠の中でひっそりと立っている。

?何か変 絵?宗圓寺国道に合流して数分、交差点向こうの景色が「?何か変」(左)。犬を連れた男性が扉の中を覗いているのだが何となく奥行き感が無い。近づくと、なんと、全体が絵だったのです。これって看板?
コメント:取り壊されたかもしれない。

すぐ先の「宗圓寺」(右)は文保元年(1317)の開基というからかなり長い歴史をもつ寺院。東京には七福神巡りが多いが ここは宗圓寺境内だけで七福神巡りができるのだ。

庚申塔が2基新町一丁目交差点国道を右側に移りしばらく歩くと祠の中に「庚申塔が2基」(左)。新町庚申塔と記されているが詳しいことは分からない。庚申様が溶けてしまったように細まっているのが痛々しい。

街道はこの先数分歩いた「新町一丁目交差点」(右)でやっと国道と別れ右の道へと入っていく。こちらの道も結構車が通るが騒音が少ないだけ助かる。

 

久富稲荷神社桜神宮10分ほど歩くと街道際に鳥居が建てられその奥に真っ直ぐな参道が続いているが ここは「久富稲荷神社」(左)。参道を5分ほど歩きやっと到着した稲荷神社の鳥居に茅の輪がありました。さっそく潜って半年の罪のけがれを祓いましたが、∞の字に潜らないと神様がそっぽを向いてしまうんだって。失敗したなー。

街道に戻り数分、右に見える神社は「桜神宮」(右)。神社本庁に属さない神社だが参拝の方法がちょっと変わっている。二拝二拍手一拝ではなく、二拝四拍手一拝がこの神社の習わし。

桜神宮の先は東急田園都市線桜新町駅だが この近くにサザエさんの著者長谷川町子さんが居住していたことから サザエさん通り と名付けられサザエさん一家の銅像が。
サザエさん一家の銅像サザエさん一家の銅像サザエさん一家の銅像サザエさん一家の銅像

大山道追分道標鎌田酒店十数分歩き右斜め先へ下る坂道を行くと前回歩いた本道に合流。その右の石柱は「大山道追分道標」(左)。この追分には文政10年(1827)の庚申塔道標が建てられていたのだが現在は世田谷郷土資料館前庭に。

道標先の交差点を渡ると創業150年という「鎌田酒店」(右)が今も営業を続けている。大山講盛んな頃は店先でおでんや雑貨を売っていたそうだ。酒蔵に掲げられた金看板は80年も前のものだとか。 
コメント:今はマンションに代わってしまい、看板は見られません。

田中橋田中橋碑本道と新道の追分ほどなく高速道路の下を通るのだが そこに「田中橋」(左)というごくありふれた橋がある。ところが近くに「田中橋碑」(左)が建てられているので曰く付きの橋かもしれない。調べると、江戸時代、この辺りは見渡す限りの田んぼ。田の中に橋が架かっていたので田中橋。

街道はその先が「追分」(右)だが右へ行く道は前回通った上町・慈眼寺線。今回は真っ直ぐの新町・行善寺線を歩く事に。

瀬田交差点左の道が旧道追分から15分、街道歩きにとって最も嫌な歩道橋に上る破目に。ここは環状八号と国道246号それに大山街道が交わる「瀬田交差点」(左)。この大きな交差点には横断歩道が無い。

歩道橋で向こう側に渡るとその先から「旧道に入って行く」(右)。住宅街の中の旧道だが結構良い雰囲気で気持ちよく歩けるのが嬉しい。

行善寺行善寺坂 ほどなく街道名にもなった「行善寺」(左)に到着。開基は長崎伊予守重光(法名・行善)で、永禄年間(1558〜70)の建立だという


当寺は国分寺崖線の上にあるため眺望が大変良い。江戸時代には玉川八景として知られ将軍もしばしば立ち寄ったとか。本堂裏からの眺めが大変良いビル群を見なければ素晴らしい景色だ。

門前から長い下り坂となるがこの坂道は「行善寺坂」(右)。今回は下りだが上りだったらきつい坂だ。

行火(あんか)坂調布橋道標坂の途中に「行火(あんか)坂」(左)と刻まれた道標が建てられており左に上る急坂がある。行火とはよく言ったものだが この急坂を上まで歩くと暑くなるので行火坂。

行善寺坂を下り六郷用水に架かる調布橋を渡ったら川沿いに左へ曲っていく。
50mほど歩くと「調布橋道標」(右)が建てられているが文字が読みずらい。 瀬田村の庚申供養講中が建てた道標で、刻まれている道筋は「右東目黒道 南大山道 左西赤坂道」。

外堤防切通し二子の渡し跡碑ということで南に進路を取り東急大井町線のガード下を通って多摩川に向かうのだがガード先は再開発で旧道が不明に。バスターミナルの前を歩き多摩川の「外堤防切通し」(左)の間を通って突き当りを右に曲がると前回到着した「二子の渡し跡碑」(右)の前。

この先の二子・溝口宿へ行くためには多摩川を渡らなければならないが今は少し戻って二子橋で対岸へ。


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