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旅人 矢倉沢往還  道中記 矢倉沢

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P御殿場
ごてんば
元和元年(1615)、沼津代官はこの地の土豪・芹澤将監に徳川家康が江戸と駿府を往来する際の
宿泊施設建設と、あわせて周辺に人々を集めた街づくりを命じた。こうして御殿新町が形成されたが、
家康公ゆかりの地ということで江戸時代初期から御殿場と呼ばれるようになった。各地から集められた
商人には商品相場の決定と馬継ぎの権利が保障されたという。
街道地図

 平成25年2月28日

雪の残る足柄道石塔群竹之下宿を出て有闘坂(うとうさか)を上り御殿場市に入ってきたが先日降った雪が残っておりちょっと歩きずらい。

道路際の一段高い場所に「石塔」(右)が並んでいるが傍らの表示は御厨(みくりや)の古道 矢倉沢通り。平安時代後期(1100年頃)、この辺り一帯(御殿場、小山、裾野)は伊勢神宮の荘園であったことから 御厨 と呼ばれていたが、いまでもこの地方を みくりや と呼んでいるようだ。

唯念上人名号塔深沢城址碑 ほどなく深沢の集落に入るが ここにも独特の文字が刻まれた「唯念上人名号塔」(左)があった。傍に馬頭観音や庚申塔などの石仏も並んでいるが、この道を多くの旅人や馬が行き交ったことだろう。

名号塔の手前を右に曲がり数分、見えたのは「深沢城址碑」(右)。戦国時代に今川氏が築城。その後、武田信玄の手に渡り、武田氏が滅ぶと徳川家康の手に渡ったが家康が関東移封となり廃城。ここは戦国時代の山城の特徴がよく残っている。


吾妻神社御殿場発祥の地碑 深沢城址を出て街道に戻りかれこれ30分、御殿場市内に入ると御殿跡入口と表示があるので右へ。コメント:御殿跡入口表示はその後撤去されたようです。

穂見神社の奥にある「吾妻神社」(左)から御殿場高校一帯にかけては、かつて、徳川家康のための御殿があった場所。境内の一角にある石碑は「御殿場発祥の地碑」(右)。元和元年(1615)に建てられた御殿であるが元和2年(1616)に家康が死去したため家康公が使うことはなかった。

境内では御殿土塁跡や源頼朝ゆかりの兜石なども見られる。
兜石:源頼朝が富士の巻狩の折り、兜をぬぎ置いた石と伝えられている。

二枚橋古墳新橋浅間神社街道に戻り十数分、浅間神社の奥に見える段丘は「二枚橋古墳」(左)。墳丘の長さが三十数メートルという比較的小さな前方後円墳だが説明が無いため詳しいことはわからない。

再び街道に戻り国道138号を横断して20分。街道際に朱鮮やかな鳥居がそびえているが ここは「新橋浅間神社」(右)。当神社は建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩りを行った際創建されたと伝わっている。(他説もある)富士登山の際は当神社に詣で、お祓いを受ることが習わしだった。

この先も車の往来が多い県道を歩くのだが かつては野原の中の一本道だったのだろう。道祖神や唯念上人名号塔などを見ながらてくてくと。
県道394号道祖神永原大神宮唯念上人名号塔

諏訪神社竃地名由来碑ほどなく到着した場所は諏訪大社の御分霊を勧請して創建した「諏訪神社」(左)。地元の人達には「おすわさま」「いぼがみさま」として親しまれているのだが またの名を「かまど神社」という。

神社の前にあるJR御殿場線の踏切にカマド神社踏切と表示されているが この辺りの地名は「竃(かまど)」。

踏切を渡った左手の「竃地名由来碑」(右)によると「建久4年(1193)、源頼朝が富士の巻狩りのおり飯炊きの竃を築いた地が地名となった」とある。右側の3個の石は地名由来の石。

 ここから平成26年3月7日

竃地名由来碑から先は旧道を歩くのだが これがなんとも長閑な道。ほどなく県道に合流するが石仏を眺めたりしながら のんびり歩ける。
長閑な田舎道道祖神青面金剛路傍の石仏

中山諏訪神社本殿深山幽谷のような景色街道際に中山諏訪神社の鳥居があったので寄り道を。階段を上った先に立派な拝殿があるが その後ろの「本殿」(左)は4本の石柱造りという変わった神社。御神体も御石。

中山諏訪神社を出たあとはひたすら県道を歩くのだが これがなんとも長い下り坂。一時間ほど歩いて左の旧道に入ると岩をかみ砕くような水音が。橋から下を覗くとまるで「深山幽谷のような景色」(右)が広がっている。しかし、ここは特に山の中というわけではない。 

高橋龍宮伝説?この川は沼津まで流れる黄瀬川。架かる橋は「高橋」(左)。橋の欄干に「龍宮伝説」(右)のようなプレートが嵌め込まれているが、はて?橋を渡った所の説明碑を要約すると

この橋の架け替えを行った大工の源作は出来上がったばかりの欄干によりかかり渦巻く川を眺めていると誤ってノミを落としてしまった。すぐ川に飛び込みノミを探していると川底に照り輝く御殿があり美しいお姫様がいて源作をもてなしてくれたのだそうだ。月日が流れ地上のことを思い出した源作はお姫様にノミを返してもらい地上に戻ることに。ふっと気が付くと御殿もお姫様も無く、右手にノミを持って欄干によりかかっていたのだとか。

猫が窓辺でうつらうつらここから裾野市旧道から再び県道に合流してしばらく歩くと、「猫が窓辺でうつらうつら」(左)。この背中、正に「猫背」ですね。

街道歩きは御殿場市から「裾野市」(右)に入った。東海道との合流点・沼津の下石田まではあと15キロメートルほど。矢倉沢往還の旅もあと1回で終わり。

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