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I犬伏宿いぬぶしじゅく                            街道地図
古代大和時代から犬伏という地名が存在していたというほど歴史深い犬伏宿は、天明宿から
わずか27町(約3km)という近さだが、旅籠の数は40軒を越えるという賑わった宿場であった。
しかし今の犬伏の町並みは広い直線道路が残るのみ。

 平成24年10月25日
天明宿を出て妙顕寺と真光寺に寄り道したあとは例幣使街道特有の長ーい直線道路をてくてくと。

到着した寺は台元寺。佐野板東三十三札所の三番札所である当寺に祀られているのは「佐野百観音」(左)。
県の文化財に指定されている百観音は元文元年(1736)、天明の鋳物師によって西国札所33ヵ所、坂東札所33ヵ所、秩父札所34ヵ所、合計100ヵ所の観音像を鋳造したもの。

ほどなく犬伏宿に入るのだが宿場時代を思い起こすものは何も見られない。唯一、犬伏小学校が「本陣跡」(左)だということだが表示は無い。敷地内に本陣時代の庭が一部残されているそうだ。

犬伏小学校の対面を入った奥は佐野の領主であった佐野昌綱が開基した 「大庵寺」(左)。慶長5年(1600)、上杉征伐に向った二代将軍秀忠が石田三成挙兵の報を聞き引き返す際、当寺に一泊したという。

山門を入った左側の「石仏群」(右)は六地蔵・六観音・如意輪観音。整然と並んだお姿についつい手を合わせたくなる。

街道に戻って10分ほど歩くと前方に小高い丘が見えるが ここは北関東最大の「米山古墳」(左)。自然の丘陵を利用して造られた前方後円墳で東西の全長は336mもあるという。

その麓に建つ赤い建物は「薬師堂」(右)。ここは「真田父子分かれ」の地。慶長5年(1600)、上杉征伐に向っていた真田父子の元に石田三成から密書が。父子はこの薬師堂で話し合いを行ったのであった。 長男・信行が徳川に、父昌幸と次男信繁(幸村)が豊臣にと、どちらが勝っても真田の家が残るよう分かれることを決断した場所。

しばらく歩くと高速道路手前の塀の中に「庚申塔」(左)が2基。

高速道路の先から左側の旧道に入ると集落の一角に「常夜灯」(左)や「馬頭観音と地蔵」(右)など。

旧道から出て数分、関川橋の正面に見える端整な山は関東百名山の一つでもある「三毳(みかも)山」(左)。山容の美しさから万葉集にも歌われている。

その三毳山の歌が20分ほど先の万葉公園かたくりの里「万葉歌碑」(右)に刻まれていた。
 下野 三毳の山の 小楢のす まぐはし児ろは 誰がけか持たむ  巻14−3424
三毳山のコナラのように可愛いあの娘は誰のお椀を持つのかな   恋歌とはちょっと違うような。

かたくりの里から5〜6分、三叉路の「地蔵堂」(左)に「追分地蔵」(左)が鎮座。台座が道標となっており「右日光道 左いわ舟道 日光似ぬける道」と読める。

佐野市から岩舟町に入ってすぐの「誕生寺」(右)は慈覚大師円仁が延暦13年(794)の秋に誕生した地。境内の一角にある産湯の井は大師誕生当時のものだとか。
コメント:栃木県壬生町の壬生寺も慈覚大師誕生地を主張。産湯井も存在している。偉人はあちこちで誕生するようで、うらやましいね。

この先は県道67号を歩くのだが前方に気になる山が。削り取られたような山肌を持つこの山は「岩船山」(左)。
コメント:地名は岩舟だが、山名は岩船。

江戸時代から昭和初期まで採石場だった山だが はるか昔の宝亀2年(771)、引誓坊明願によって開山された霊場でもある。明願は なんと生身のお地蔵様に会ったことがあるのだとか。

その先、岩舟駅へ向う丁字路に小さな「道標」(右)が1本。
刻まれている文字は「岩舟停車場 鷲巣」「犬伏佐野方面 栃木小山方面」。

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