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A五料宿ごりょうじゅく                              街道地図へ

利根川の右岸に位置した五料には街道唯一の関所が前橋藩によって設けられ、これに接するように
数軒の旅籠ができ宿場町が形成された。また、舟運の中継地であったことから交通の要衝でもあったが
元和2年(1616)幕府公認となった関所は江戸への禁制品取締りにことのほか厳しかった。
 

平成24年8月7日
玉村宿を出てかれこれ小1時間、工業団地の中を通ってきた例幣使街道(国道354)は聖跡記念碑前から旧道に入り静かな道を10分程歩いて再び国道に。

例幣使街道は国道を横断していくのだが ちょっと寄り道を。
横断せず左に曲がると道路際に小さな「道標」(左)がポツンと立っている。刻まれている文字は「利根川渡船 玉村町小泉道」。往時はこの先の関所を通り利根川を渡し舟で対岸の芝宿へ。

道標の先に石仏・石塔が並んでいるが ここは「常楽寺参道」(右)。突き当たりの山門をくぐると広々した境内の向こうに本堂が見えるが境内にベンチが用意されているのでここでひと休みを。

国道を横断して左に曲がると 「旧五料宿の町並み」(左) となるのだが往時の面影は無い。

数分先を案内板に従って左に入った所が 「五料関所跡」(右)。 慶長6年(1601)、厩橋藩主酒井忠重が正式に関所を設け元和2年(1616)には幕府が承認。五料の関所に特別に課せられた任務が舟運の取り締まり。上り舟(江戸に向う舟)には特に厳しい船中改めが行われていたのだとか。

道路両側に「関所門跡の沓石」(左)が今も残されている。関所を含めたこの辺り一帯は天明3年(1783)の浅間山噴火に伴う泥流や 天明6年(1786)の大洪水などで泥に埋まってしまった。

門跡から少し先まで歩き左に曲がると民家の裏に鉄柵で囲われた場所があるが ここは当時のままの「関所井戸」(右)。

五料にはもう一箇所、往時の遺構がある。

関所跡から南へ100mほどの路地奥にある石垣囲いは「舟問屋跡」(左)。舟問屋だった高橋清兵衛家の屋敷跡で石積みの周囲グルリは500mほど。広大な敷地はほぼ手付かずだ。

ここまで来たのだから「飯玉神社」(右)まで足を伸ばすことに。
応仁2年(1468)創建の当神社は天明元年(1781)に拝殿を、安政3年(1856)に本殿を改築という歴史ある神社だったのだが、残念ながら火災で焼失。現在の拝殿は平成19年(2007)に再建。


江戸時代の旅人は関所を通過すると渡し舟で「利根川」(左)を渡ったのだが今は上流の「五料橋」(左)で対岸へ。

この橋が結構長いんだなー。渡るのに10分も掛かってしまったが渡り切ったところが柴宿。いたって近い。

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