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金崎宿かなざきじゅく                               街道地図
例幣使街道最後の宿場である金崎宿は本陣1軒、旅籠十数軒の小さな宿場であった。街道沿いに、かつては
旅籠であったかと思わせるような立派な古民家があり往時の面影がちょっとだけ残る旧宿場街。
例幣使街道は金崎宿の先で思川を渡り1時間ほど歩いて日光街道から分かれた日光西街道(壬生道)に合流。
その先は日光西街道を通り今市宿で日光街道に入って日光東照宮に向う。

 平成24年11月28日

合戦場宿を出た後は見所が少ないが街道沿いの「豊年神社」(左)や「琴平神社」(左)が疲れた足を休ませてくれる。

ほどなく「金崎宿の町並」(右)に入るが ここも他の宿場と同様 静かな町並みが続く。

東武金崎駅入口を過ぎた左側に「立派な屋敷門」(左)が見える。あまりに立派なので本陣門かと思ったが違うようだ。 
どういうわけか門だけが取り残されている。

その先右側の「古民家」(右)はかつての旅籠を思わせる立派な建物。だが表示など無いので詳しいことは分からない。
コメント:ここを本陣と記した紀行文があるが、この建物は本陣ではない。

数分歩いた先に「本陣門」(左)が見える。建屋は取り壊され新しい家に建て替えられてしまったが本陣門と屋敷塀だけは今も健在。金崎宿の本陣は吉澤家が務めていた。

「旧例幣使街道」(右)はこの先で県道と分かれ旧道へ入るが、5〜6分で国道293号に合流。思川(おもいがわ)に架かる小倉橋で対岸へ渡りその先は楡木追分まで国道を歩くことに。

小倉橋を渡って10分ほど歩くと「磐裂根裂(いわさくねさく)神社」(左)に到着。 こじんまりした神社だが例幣使一行が参拝したという記録が残っているのだとか。祭神は磐裂神と根裂神。

神社の裏に「十九夜塔」(右)が並んでいる。一番右の塔は文久年間(1861〜63)に建立されたものだが一番左の塔はなんと平成十?年の建立。今も十九夜信仰が続いているようだ。

国道になってしまった例幣使街道を小一時間、途中に磯山神社の案内があったが日光西街道を歩いたとき立ち寄ったので今回はパス。 
右手の彼方に日光西街道(壬生道)が見えてきたら楡木追分が近い。

例幣使街道と日光西街道の合流点に「追分道標」(左)がちょこんと立っている。年代を経た石塔で文字が読みづらいが刻まれた道筋は 「左 江戸道 右 中山道」 。

振り返って「楡木追分」(右)を見ると、まさに追分。江戸へ続く道と中山道に続く道が左右に分かれていく。
例幣使一行はここから日光西街道(壬生道)を通って今市宿に入り今市から日光街道を通って鉢石宿まで行き、その先の東照宮に幣帛を奉納したのであった。

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