旧道から数分歩いた奥の「姫塚」(左)と呼ばれる小さな古墳には悲しい伝説が。
永禄年間、八幡山城が北条氏に攻められ一族が上野に逃げのびる途中、病弱な姫が短い生涯を閉じてしまった。このため近くにあった塚に埋葬。いつの頃からかその塚が姫塚と呼ばれるようになったという。
塚の南側に五輪塔などの石塔があるが、姫塚との関係は不明。
旧道に戻り畑の中の道を進むと神川町役場の前。さらに10分ほど歩くと「彼方まで広がる田園風景」(右)。鎌倉街道はこの先から2ルートに分かれていた。西側は消滅状態だが北側は田んぼの中を通り肥土集落を抜けて神流川へ。 |